小説

『雀の子』珊瑚(『舌切り雀』)

 下駄をつっかけて隣家まで走り、戸を打ち鳴らして開けてもらった。隣家の主人は訳を聞いて、自転車で医者を呼びに行ってくれた。家にとって返し、かゆいかゆいと体を掻きむしり泣く彼女を抱きしめ、早く医者が来るよう祈るしかなかった。生きた心地がしなかった。旦那様は相変わらず眠っていた。
 アレルギィだろう、と診断され、鎮静剤を打たれて眠る彼女の枕元で、医者は変わったものを口にしていないかと問うた。
あの舶来物の、と、すぐに思い当たり、つっかえながら伝えると、小麦粉かバタか卵、あるいは組み合わせの問題か、何かはっきりとは分からないが、とにかくそういうものを与えないように、今回はこの程度で済んだが次はもっとひどくなるかもしれない、親が注意してやらなきゃ駄目だ、と言って、かゆみ止めと熱冷ましを置いて帰った。
 彼女の熱は二日後には収まり、前のように元気に飛び跳ねたが、腹や腕のみみずばれの跡はしばらく消えなかった。私は彼女に与える物に気を配り、彼女の爪をそれまでよりも念入りに削るようにした。
 ひとつ困ったことは、聞き分けの良かった彼女が、どうしてもまたあの菓子を食べたい、とことあるごとに言うことだった。私は彼女を強く叱った。次も発疹で済むという保証はないのだ。何度かに一度は、代わりにオハギを作ってやった。彼女は餅もオハギも好きだったが、舶来物の菓子の魅力には遠く及ばないようだった。
 旦那様には再三、その日のことを伝えてあった。アレルギィという耳慣れない言葉に対しても、一応理解を示した様子だった。
 ある日、旦那様が帰宅してから彼女の相手を任せ、奥の座敷で、彼女が初めて家へ来た日と同じように針仕事をしていた。無心で針を動かし、仕上げに糸切ばさみでパチン、と糸を断ってから、ついでに彼女の浴衣の裾も卸してしまおうか、背が伸びてきたから、と、旦那様と彼女のいる部屋へ向かった。
 旦那様は彼女を膝に乗せ、あの忌まわしい菓子を彼女の口へ運ぼうとしていた。二人とも心底幸せそうだった。
 私は駆け寄り、旦那様の頬を振りかぶって打った。人に手を上げたのは初めてだった。彼女を失うかもしれない恐怖が、この無礼を易々と行わせた。旦那様は唖然としていた。私は彼女の頬も、同じく力いっぱい打った。
「あんたは、なんで、そう、聞き分けがないの!」
「姉さまのばか!姉さまも食べたいから怒るんでしょ?!」
「違うわよ、あんた、この菓子を食べたらどうなるか、分かってんでしょう!」
「ちょっとかゆくなるだけだもん!この前、父さまがあたしにだけくれたから、姉さま、怒ってるんでしょう!」
「うるさい!どうしても食べるって言うなら、そんな舌、ちょん切ってしまうわよ!」
 うわあああ、と彼女が号泣するのに構わず、旦那様の手から落ちた菓子を引っ掴んで庭に投げて、それでも足りずに素足で飛び出し、踏みつけて粉々にした。日が暮れた後の春の土は冷たかった。彼女は旦那様に縋りついて泣いていた。かっと頭に血が上った。
「私がどんな思いで、お前を育てているか、分かりもしないくせに。お前など、引き取りなくて引き取ったのではないのに、この恩知らずが!」
 はっと思った時には遅かった。

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