小説

『妾になった男』和織(『青鬼の褌を洗う女』)

 僕が笑ってそう言うと、登もクスッと笑って、こう言った。
「みんな、なりたいものになっているってこと」
 そう、それは本当にその通りだ。僕も登も、相変わらずだ。それは、変わりたくないから変わらなかっただけのこと。
「教授は?体調はもういいのか?」
「うん、いちようね。最近やたらと、変な気を使ってくるけど」
 登は急に拗ねたような表情になった。教授というのは、彼のスポンサーだ。教授と言っても、彼が教授であったのは僕らが大学を卒業するまでだ。でも登がずっと呼び方を変えないので、それがその人の名称になっている。
「変な気って?」
「病気して、気が弱くなったんじゃないかな。ネガティヴなことばっかり言ってきて鬱陶しい」
「八十、いくつだっけ?」
「八十三」
「まぁ、そういうこと、言うのも仕方ないんじゃない」
「悦ちゃんは、やっぱりそう言うよね」
 ミルクティが運ばれて来て、登はそれを一口飲んだ。それから、短い息を吐いた。黒のタートルネックが、彼の肌の白さを際立てている。僕は一瞬、それに見とれ、彼と目が合い、罠にかかったような気分になった。
「悦ちゃんにそう言われたら、納得して聞き流そうって思った。だって結局僕、離れられないし、あの人から」
「・・・・どんなことを言うの?」
「君はもう、好きなところへ行っていいよって。浮気ではなく、一緒にいたい人がいるならそっちへ行きなさいって、説得するみたいにさ。でも、本心じゃなくて、強がってるだけなんだよ。僕にいなくなられることが嫌なんじゃないの。僕が「勝手に消える」って事実が嫌なんだよ。僕がいなくなるときは、「自分が手放した」ってことにしたいんだ」
 相変わらず、よくわからないことを言うなと思った。彼らのような空っぽ族の言うことは、僕のように一般的な人間には全然理解できない。どうして二人は一緒にいるのか?そう訊いてみてもきっと、ちゃんとした答えは返ってこないだろう。なぜなら彼ら自身に、確固たる何かがないからだ。そういうものがあると、生きられない人種なのだ。なんの繋がりも見えない、なんの柵もない、そういう関係。何もない場所が、彼らの水であり空気なのだ。だから二人は、お互いにとって最高の相手なのだ。それに気づいたとき、僕は自分が登に選ばれることは一生ないのだと悟った。
 登は学生の頃から、男女構わず、手の届く限りの、あらゆる年齢や職業の金持ちと付き合っていた。初めはただ遊んでいるように見えたけれど、とにかく手あたり次第だったのには、理由があった。登は母子家庭で育って、高校生のときに母親を事故で亡くしていた。彼の母親は金持ちの妾だった。そしてその相手の男が、母親の死後、大学の学費までなら面倒を見ると、登に申し出たらしい。登はその頃、次のスポンサーを、慎重に選んでいたのだった。相手を見つけることは、彼にとってそれほど難しいことではなかった。彼は自分の母親から、妾の英才教育を受けていたからだ。登の母親は、誰かにただ可愛がられて生きることこそが人間の真の幸せだと、本気で信じていたらしい。だから息子にも、結婚を禁じた。登は、「母親のことは鬱陶しかったけれど、自分には母以上に妾としての素質があった」と言っていた。登は、「妾」という生き物なのだ。だから、何かしてあげたいとか、幸せになってほしいとか、そういう人間の普通の感情を、泥水みたいに感じるのだろう。

1 2 3