小説

『萌し』夏迫杏(『春は馬車に乗って』)

 そこのお盆やし、と母親が示したこたつの上には漆塗りのお盆があって、白米とわかめの味噌汁とぶり大根がそれぞれ器に盛られていた。春高は食器棚からステンレスのスプーンを取りだしてお盆に載せ、姉の寝室兼春高の仕事部屋にむかった。
 襖を開けるなり植物の蒼く湿ったにおいが鼻をつく。春高は部屋の中央に敷かれている布団のすぐそばにお盆を置いて行燈をつける。布団で眠っているものの姿が浮かびあがると、春高はぎょっとする。幾度となくガーベラを咲かせていた姉の脚が土くれになってかたちを失っていた。先ほどの配達に出るまではまだ脚があったのに。
「せ……」
 終焉が近づいてきていた。
 流行り病にも、あなたの生にも。
「……雪、ごはん持ってきた。たべよう」
 返事はない。けれど、体躯を覆うガーベラの群れが揺れるから呼吸をしていることだけはわかる。流行り病がはじまったころはからだから花が生えてきてもなんともないような顔をして生活を送っていたのに、こう咲き乱れるようになってからはすべての意識と感覚を失ってしまったらしく、姉はただじっと横になっている。まるで植物みたいだった。
 春高はスプーンで味噌汁を掬い、姉の唇にあてがって口腔へと流しこむ。
 春高屋の花は命の花だ。ひとつ前の流行り病のときは父の弟の、そのひとつ前は祖母の兄の、そのまたひとつ前は曾祖母の妹の命が花となり、罹患したひとびとを救ってきた。花が癒さないのは、花を咲かせるために命を燃やした当人だけ。
 このことを母から告げられても、姉は笑っていた。花となって誰かを助けた、そのなかにわたしは生きつづけるから大丈夫と言って。
 ぶり大根の大根をなるべくほぐして姉の口に入れる。姉は咀嚼をしない。噎せもしない。春高は姉がほんとうに生きているのだかわからなくなる。
 でも、春高のたったひとりの姉はたしかにここにいて、もうすぐ消えてしまうのだった。
 夜が更けてから訪れた原田さんの家の前で、座りこんでいたおんなのこはガーベラを持ってやってきた春高の姿をみとめて、痩せた腕を春高の脚に巻きつけた。
「ありがとう」
「……お待たせ」
 外に誰かがやってきた気配を聞きつけて、松本さんと近藤さんが家から出てきて春高に駆け寄る。春高は三家庭にガーベラを手渡して、病人の枕元に活けるようにと用法を説明してから、ジャイロアップで夜の帰路を走り抜けた。むかし姉が運転するバイクに乗せてもらったときに見た町中の星空はただ暗いだけだったけれど、このあたりの星空はどこまでも煌めいていた。
 わたしがいいひんくなっても、わたしがいた世界はずっと残るから。
 数か月前の姉のことばが春高のあたまのなかで蘇る。
 だとしても、あなたにここにいてほしいというのは我儘なんやろうか。

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