小説

『萌し』夏迫杏(『春は馬車に乗って』)

 三月の暮れに、姉のからだがさいごに咲かせたのはガーベラではなくスイートピーだった。母によるとスイートピーには治療効果はなく、その開花は流行り病の終わりを告げるらしい。春高はもうほとんどひとのかたちの残っていない姉からスイートピーを摘みとった。
 ジャイロアップに色とりどりのスイートピーをめいっぱい積みこんで、春高は配達に行くでもなく乗りものを走らせた。ふと、左手の海岸に誰かが座っているのを見つけて、春高は左折のウインカーを出す。人影に迫るにつれ、それは前に花を配達したことがある原田さんのところのおんなのこだとわかった。
「なにしてるん?」
 春高はすぐ傍まで寄ってジャイロアップを停め、おんなのこに声をかける。おんなのこは振り返り、例の花を届けてくれたひとだとすぐに気がつくと、目線を海に戻した。
「暇やねん。おかあちゃん、あったかくなるまでお外出られへん」
「あれ、治らへんかったん?」
「ううん、でもな、冷えたらあかんねん」
 春が訪れるまで風邪の予防のために自宅療養を続けているということだろうか、と春高はおんなのこの発言を解釈する。波の花がはじける。春高が暮らしている地域は気温がだいぶ上がってきているが、このあたりの空気はまだひんやりとしていた。
「ほな、おにいちゃんが春を運んであげよう。きみも暗ならんうちに帰りや」
 春高はアクセルをかけておんなのこの家を目指した。荷台のスイートピーは風を切り、風に吹かれて、呼吸をするように揺れている。

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