小説

『神待ち少女は演劇の夢を見るか』甚平(『笠地蔵』)


「おい、風邪か? インフルはやめてくれよ?」
 笠原(かさはら)とは、長い付き合いだった。
「いや、昨日、床で寝たせいか身体が痛くて……」
「ベッドで寝ろよ」
「ああ、いや……気づいたら寝てて、寒くて起きたんだ」
 会社は建物のメンテナンス業であり、大手の下請けを行っている。
「気をつけろよ、疲れてんのはわかるけど」
 総務は貞夫一人であった。中小の建設業は総務に人を割かない。売り上げに直結しないからだ。現場の人数は増えていくので、会社が成長するほど総務は目の回る忙しさとなる。
 だから、面倒ごとは御免である。
『おじさん、演劇好きなの?』
 この日の朝、貞夫が目を覚ますと、朝食が用意されていた。
『お前の朝飯は?』
『寝室の本棚さ、なんか演劇の本がびっしりで引いたんだけど』
 ゴミ箱にはコンビニの袋が入っていた。
『あたしも子供のころ、けっこう見たんだよね、身毒(しんとく)丸(まる)とか』
『子供の見るやつじゃないな』
『古いのばっかりだったけど、最近は見てないん?』
『仕事行くから、きみも帰りなさいよ、家に』
 愛実はわかっているのかいないのか、生返事を返して寝室へ行った。
「笠原、仕事と関係ない話しなんだけど」
 笠原は現場の人間だが、週に二日ほどデスクワークをする。
「神待ちって知ってるか?」
「あー……なんかニュースやってたよな、たしか。誘拐だってやつだろ?」
「……そうそう」
「で、それが?」
「いや? 知ってるか聞いただけだけど」
「なんだ、それ。まあ、あれって家出だろ? 男の家あがるあたりバカだけど」
「ああ、まあ……」
「お前もさ、田舎飛び出したわけだし、いや当てもなく都会に出る貞夫の方がバカか」
「やめろよ、お前の話も出すぞ」
「いや、やめようぜ。若気の至りの話は」
 この日も緊急の案件が入り、終電で帰ることになった。また少し、雪が降っている。昼の雨が夜になって冷えると、雪になるようだった。駅からアパートへ向かって歩いているうち、自分の部屋の窓が目に入る。カーテンの隙間から明りが漏れていた。
「あ、おかえりー。夕飯あっためよっか?」
 愛実が椅子に座ってテレビを見ている。

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