小説

『神待ち少女は演劇の夢を見るか』甚平(『笠地蔵』)

 強く言い切られると自分が間違っているのではないか、という錯覚が起こる。また、貞夫は疲れ切っていたのでもめるのは御免であり、寒い中、外にいたくないということもあった。
 後で思えば、警察に行くべきであっただろう。
「神待ちってやつ、知ってるっしょ?」
「知らないが」
「あたしみたいな行く当てのない女の子が、無償で家に泊めてくれる人を募集するの」
「……家出だろ?」
「違うって。あたしは泊めてもらえる、男の人は女の子がそばにいて嬉しい。うぃんうぃん」
 両手でピースサインをする小野塚愛実。
「一般的にそれは未成年者誘拐では?」
「まっさか。だとしたら、おじさん犯罪者じゃん」
「恐ろしいことを言うな。いますぐ家に帰れよ、俺は仕事も残ってるんだ」
「え~、家で仕事するの? なんのために家に帰ってきたの?」
「心を抉ることを言うんじゃないよ」
 深沢貞夫のアパートは1LDKであった。寝室とリビング・キッチンがあり、風呂トイレは別で、空調もついている。ここ数ヶ月は家にあまりいないせいもあり、生活感があまりなく、住んでいる形跡は洗濯物が溜まっているくらいであった。
「それよりさ、あたし、どこで寝ればいいの? 寝室、こっち?」
「いや、帰りなさいよ」
「あ、ベッドあるじゃん。ありがとう、おやすみ」
「俺のベッドなんだけど」
「あたしがかわいいからって、変なことしたらダメだからね」
「ないわ。ゴボウみてえなガキが調子乗んなよ」
「は? セクハラだから、それ。ことによったら出るとこ出るからね」
「俺の家から出なさいよ、まず」
「それとこれとはちがうじゃーん」
「同じだよ」
 愛実はショートパンツとニットのまま、ベッドに入ったようだった。警察を呼ぶという選択肢が浮かんだが、貞夫は選ばなかった。残った仕事を片付けられなくなるからである。
 ノートパソコンを起動して、キーボードを叩く。貞夫は煙草を咥えようとしたが、やめた。食事は取らず、お茶を飲みながら作業をしていると、ふいに、粉っぽい、甘い香りが鼻をくすぐった。それは愛実のにおいであった。貞夫は少しぼんやりとしてから、思った。
(リビングには、ソファも座布団もないぞ……どうやって寝るんだ)

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