小説

『黄昏を笑う』高平九(『死神』)

「ねえ。お祖母ちゃん。あれ、出た?」
 玲香は大学1年生。色白で整った顔立ちをしている。若い時の良子に少しだけ似ている。まだ大人の女とは呼べないけど、今に男達が群がるようになるだろう。
「出たよ……昨日も」
「えーっ、やっぱり」
 玲香がベッドの手すりから白いワンピースに包まれた身体を乗り出して良子の顔を覗き込んだ。大きな明るい瞳に薄ぼけた良子の顔が映る。思わず目を背けた。
「ねえ。お祖母ちゃん。夜な夜なやって来る恋人達の話、聞かせてよ。イケメンばかりなんでしょ」
「うん……」
「やめろよ。87の婆の恋バナなんて聞きたくもねえよ」
 俊太郎が窓辺のイスにだらしなく腰掛けて外を見ながら言った。また少し太っただろうか。だんだん死んだお父さんに似てきた。あの人はあたしに群がった男達の中では冴えない方だったけれど、とにかく人を飽きさせない人だったな。それと比べるとこの子は真面目なだけで面白くない。
「パパひどォい」
 玲香がほっぺを膨らませて怒っている。
「お母さん。話してください」
「俺も聞きたいな」
 美佐子や雄太までが言い出すと俊太郎は不機嫌そうなため息を吐いて開いたままのドアに向かった。
「あなた……」と美佐子が声をかけた。俊太郎は背を向けたまま暗い声で、
「何か飲んでくる」と言い捨てて部屋を出て行ってしまった。
 俊太郎は良子に優しかった。でも、その仮面はささいなことで剥がれて、ときおり苛立ちを露わにした。何を怒っているのだろう。人生のどこかであたしは俊太郎に何かひどいことを言ったかもしれない。良子はそのことをずっと気にしながらも、問い質すことも自分の記憶を探ることもしないでいた。今となってはどんな記憶も取り出しようがないし、俊太郎が自ら良子にその理由を告げることもけしてないだろう。
「それで、昨夜はどんな人だった」
 玲香の好奇心がさらに深く良子を覗き込んでいた。
「昨夜はね……」
 鼻と口を覆った酸素マスクが声をよどませた。良子は顔の筋肉を動かしてマスクを外そうとした。
「ダメダメ。お祖母ちゃん。これ外したら苦しくなっちゃうよ」
 玲香の白い手がたどたどしく酸素マスクを元の位置に戻した。
「……そう?」
「そうだよ。それで……」
「……園部さん」
「誰? そのべって」

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