小説

『光と泡』小山ラム子(『人魚姫』)

 男子生徒は言葉を選んでいるようだった。姫歌の動揺を感じてくれた心づかいのようで、それがうれしかった姫歌は急いでノートを取りだしてその上にペンを走らせた。
『ありがとうございます。気にかけて言い直してくれたんですね』
 声にだしたら一瞬で済むことなのにもどかしかった。その気持ちがでたのか書かれた文字は汚くて、それに気が付いたのはその文字を見せた後だった。男子生徒がそれを見て驚いたような顔をしたので不安になったが、「こっちこそありがとうございます」と照れたような声で言ってくれたのでほっとした。
 なぜお礼を言われたのかは分からなかったが、その口からでた言葉を文字に書き起こしたら優しい字体ながらも芯の通った濃い色になるのだろうなと思った。

 渡り廊下を歩いている途中で、昨日帰りにココアを買い忘れていたことに気が付く。今日はどうしようかと考えて必要がありそうなら買おうと決める。向かう途中、聞こえてくるのは自分の心臓の音だけだった。
 引き戸を開けて図書室に足を踏み入れる。男子生徒は相変わらずそこにいて、昨日とちがうのは会釈をしてきた点だった。今日もココアは必要ないように思えた。
 返却する本を男子生徒に渡す。処理をしてもらいながら彼の前に積まれている本を見ていると、それに気が付いたのか彼はその内の一冊を姫歌の方に向けてきた。
「面白かったですよ。よかったらどうですか」
 驚いたけれど笑顔で頷いて、そのまま貸出処理をしてもらう。姫歌はうれしい気持ちの反面、これは声が出ないことに対する気遣いであって姫歌そのものに対しての優しさではないのではとも思い複雑な気持ちになった。それはクラスの友人に対するものとは全く正反対の気持ちであり、そのことに姫歌は戸惑いを感じていた。
 渡された本は面白かった。昨日読んだ冒険もの、そして今日読んだ青春ミステリー。ジャンルでいってしまえば簡単だが、そんな一言ではとても言い表せない世界がそこにはあった。感想文を書きながら彼のこと考える。そして名前も知らないことに気がついた。いらない紙の裏側に書き込んでいた手を止める。押し入れにレターセットが入っていたはずだ。いくつかある中から一番シンプルなものを選んだ。
 次の日も男子生徒は受付にいた。姫歌は本と一緒に白い封筒を渡した。すぐに感想文だと分かるような文言を封筒の表に書いておいた。男子生徒はそれを見てから姫歌を見上げた。
「ぼくにですか?」
 姫歌は恥ずかしいのをこらえながら頷く。
「見てもいいですか」
 もう一度頷く。男子生徒は最初の一文を読んだのか「ぼくは四組の平岡です。平岡光樹(こうき)」と教えてくれた。平岡くんはもう一度感想文に目を落としてからまたすぐに姫歌を見た。
「ありがとうございます。返事書きます」

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