小説

『光と泡』小山ラム子(『人魚姫』)

 飛び上がるほどうれしかった。その日、姫歌は本を借りるだけにした。本当は平岡くんを見ていたかったが、自分がそこにいて返事を急かしているように感じられたらいやだった。
 誰かに見せるために感想文を書いたのは初めてだった。いつもの殴り書きではなく一つ一つ丁寧に、文脈にも気を付けて、字の形も美しく。あんなにも心を込めて言葉を紡いだのはいつ以来だっただろうか。それはただの感想文ではなく姫歌の伝えたい気持ちでもあった。姫歌は自分の中にこんなにもたまっていたものがあったことに驚き、そしてその形にはなっていないもの達に対して申し訳ない気持ちにもなった。
 姫歌はようやく声がでなくなったことについて考える覚悟を決めた。なんとなくは分かっていたのだ。これは諦めなんだと。考える覚悟、という言葉を姫歌は撤回した。これは認める覚悟なんだと。
 ずっと一人で海の中で暮らしていた。そして地上に憧れた。だけどそこは痛みを伴う世界で姫歌はそれに耐えられなかった。でも再び海に戻ろうとした姫歌をつなぎとめているものがある。姫歌は本を抱きしめた。それは海に戻る道具でもあり、地上に残る道具でもあった。
 翌日、図書室に入ってきた姫歌を見るやいなや平岡くんは立ち上がり、受付をでて封筒を渡してきた。それは姫歌が渡したものよりずっと光沢のある白色だった。頭を下げ、なるべく丁寧に見えるような仕草で鞄にいれてからもう一度頭を下げて図書室をでる。はやる気持ちを抑え家へと向かった。今すぐ読みたかったが、落ち着いたところで向かい合いたかった。家について鞄を置いてから手洗いうがいをし、封筒を取りだし自室にいく。きっちりと糊付けされた封筒を見て少し迷ってからハサミをいれた。便せんには姫歌が予想していたものよりもずっと、優しくてそれでいて力強い文字が並んでいた。
 姫歌の書いた感想についてのこと、それを踏まえての自分自身の感想、そして中学の頃とずいぶん雰囲気の変わった姫歌に驚いたこと、それが声のでなくなったことに関係しているのかということ。
 何度も目を通してから脇に置き、レターセットから便せんを取り出し机に広げた。今度書くのは本の感想文ではない。書き始めてから止まらないことに気が付いて、便せんに書くのはまとめてからにしようといらない紙の裏側に切り替える。
 口から出た言葉が泡になって消えていくのを見て、自分自身まで泡になったようだった。だけどこの泡が光になることを平岡くんは教えてくれた。だって彼からの言葉はこんなにも光り輝いている。
 今日一度も電源をつけていないパソコンに目をやる。インターネットは便利だし、それに救われたこともある。だけど本当は誰かと語り合いたかった。画面の向こうにいる誰かではない、名前のある人と。
 姫歌の書く手は止まらない。こんなにも伝えたいことがあるのがたまらなくうれしくて、当たり前のように今息ができていることに気が付く。
 手を止めて大きく深呼吸をする。光り輝くものが喉を震わした。

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