小説

『醜悪』軽石敏弘(『みにくいアヒルの子』)

 壇上の男は満足げに会場を眺め、スピーチを始めた。彼らはトランスヒューマニズムと呼ばれる分野の研究員たちだった。
「私たちは最新の科学技術を駆使して、人間の身体と認知能力の概念を根本的に覆し、過去前例のない域まで劇的に向上させることを可能にする技術の実現に成功しました」
 その男は人工脳に電子的に複製された自身の精神を転生させることに成功したと説明した。
 しかし、彼らが開発した精神転生技術はまだ改善の余地があり、本格的に普及させるにはまだ時間がかかると言った。事実、彼らのボディーの大半は機械構造であり、表面上にただ人工皮膚を貼り付けているにすぎなかった。しかし、近い内にその技術を用い世界中すべての人々の精神を自分たちの醜悪な肉体から解放し、本来あるべき姿に戻すことを誓い、そのためには世界中の協力が必要だと訴えた。

 祖父は取り憑かれたようにトランスヒューマニズムの研究に没頭し、彼の人生の全てを捧げ、この世を去っていった。
 祖父の葬儀には数多くの出席者が参列した。葬儀には父が久しく会っていなかった伯父も来ていた。その夜、伯父は彼が携わっていた国家プロジェクトについて父に話してくれた。
「仮想現実内に人間の意識を完全に転生させる技術は、人々を醜い姿から解放するための第一歩なんだ」
 当時、精神転生技術はまだ開発段階で精神転生を行い人の姿に戻れた者は世界中どこを見てもまだ一握りの特権階級のみだった。
 伯父は祖父の意思を引き継ぎ、脳内のニューロン全てを同等の入出力機能を持つマイクロチップに置換する電子脳の開発を進めていた。特殊なコンピュータに被験者の電子脳を接続し、コンピュータのネットワーク上に電子的に再構築された仮想現実を作り、そこに被験者の意識を転生することによってあたかも自分がその世界に存在するかのような体験が可能になる。仮想現実では人はどのような姿にもなることができると伯父は言った。

 「僕たちにとって、いまのこの姿でいつづけることは本当に悪なのだろうか?」
 ある日、父は食事を供にしていた伯父に尋ねた。
「ありのままの姿を受け入れようとする心こそが大切なのではないのだろうか?」
しかし、伯父はその言葉に激昂した。
「この姿になったのは必然などでは決してない。この忌むべき姿を望んだものは誰一人としていないだろう。醜いということは最大の悪なんだ。鏡に映る我々のこの醜い姿は、全ての人々から生きる希望を剥奪し、これから生まれる子供たちから未来の可能性を奪い去った。再び私たち自身を真の意味で人間と呼ぶためには、いまいちど然るべき人間の姿を、我々のこの手で取り戻すしかないんだ」
 ほどなくして、伯父が研究していた技術は完成し、本格的に実用化されることになった。
 しかし、あの日の口論以来、父と伯父が出会うことは二度となかった。

 
 父にはもう一人姉がいた。

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