小説

『スリーピングアイドル』柿沼雅美(『眠れる美女』)

「だから今から車で行くから、出る準備しろ。念のため撮られてもいい顔と恰好で来なさい」
「は?」
 私のは?を遮るようにしてツーツーツーと電話が切れる。
なんなの?と思いながらとりあえずヘアクリップで留めていた前髪をストレートアイロンで伸ばし、ゆるくみつあみをした。何年も着古したスウェットを脱いで、45Rのデニムを履き、ピンクのフレアスリーブブラウスを着て、オフホワイトのコクーンカーディガンを羽織った。財布と鍵とスマホとリップをウエストポーチに入れて斜めがけをし、マスクで顔の半分を隠した。靴はフラットなものをさっと履いて出ればいい。
 スマホで飯田美穂と自分の名前で検索をかけてもまだ話題にも何にもなっていない。そもそも大人気のグループの3列目にしかならない立ち位置の私が記者に狙われるようなことあるんだろうか、そもそも私は何もしてないし本当に何かが載るのなら私は一体どこで何をしたんだろう。
 電話が鳴り、玄関を出てエレベーターで降りると、マンションのエントランス前にワゴン車が待っていた。私がドアに手をかける前に扉が空き、無言で乗り込んだ。
「お前さ、ほんともう困る」
 一刻も早くどうにかしたいのか運転をしながらマネージャーがぼやく。
「どういうこと?」
「なにが?」
 私は本当に分からない、なんの心あたりもないんだと、ちゃんと訴えなければならない、と心に決める。
「会社に記者さん待たしてるから」
「え?」
「え、じゃなくて。記者さんが直接聞きたいことがあるんだって」
「なんですか?」
 私が聞くと、知らないよ直接自分で聞いて、と突き放すような声が返ってきた。あぁこの人はもう眠いしほんとは私たちに関わりたくないんだろうな、と思う。この人に何を言ってもきっと進まない、と思って、会社まで無言で窓の外を見ていた。
 繁華街のようなところから出てきたサラリーマンたちが、うえーとのけぞるような恰好をしていたり、私と同い年くらいの子たちが女子大生らしい恰好でカラオケ店から出てくるのを見つめる。
 何もしゃべらないままマネージャーは車を停めて降り、地下から会社に入った。私もいつも通りあとをついて行き、4階のミーティングルームに入った。数人だけ残って仕事をしている社員さんがちらっと、見てはいけないもののように私を見た。
「どうも」
 とてもスッパ抜くという記事を書くようには見えない優しそうな男が椅子から立ち上がって挨拶をしてくれた。名刺には安西徹と書かれている。古着屋に売っているような襟付きのシャツに、デニムはGstarrawだとすぐに分かった。この人デニムとか服が好きなんだなぁ、と瞬時に思う。
 とりあえず座って弁解して、というマネージャーに、私は弁解するようなことはありませんときっぱり言い、座った。安西は、ふーん、と感心するような顔をした。

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