小説

『過去』宮下洋平(『過去世』)

 店員に席を案内される。小さくて高い(足の短いわたしは浮くかたちになる)、黒いいすに座って、パソコンを取り出した。しばらくすると頼んだもの(ブラックコーヒー、いちごと生クリームのクレープ、ハニートースト、いちごのショートケーキという、人からみたら支離滅裂な組み合わせ)がきた。わたしはコーヒーをのみながら、そしてトーストのくずがキーボードに入らないように、仕事をし始める。とりあえず題名の欄は飛ばして、「吉沢七郎」と名前だけかき、さてどの記事からかこうかとすると、お父さん、という声が聞こえてきた。
 最初は無視していたが、小さな男の子(つぎはぎだらけの服、少し日焼けした、ぼさぼさの髪)が笑顔でわたしに話しかけてくる。わたしは今までまじめにいきてきて、こどもをうんだりそだてたりするのには大きな責任が伴う、ということをしっているのだし、だからこそ俺の少ない収入なんかでこどもをつくったらその子がかわいそうという理由で、まだつくる気なんてさらさらないのだから、こんな子がいるわけないのだし、あんたにお父さんなどとよばれる筋合いはない、と言ってやりたかったのだが、大人げない、ということと、何より懐かしい顔だったので、その気は失せた。ねえ、お父さんでしょ。
 その後、おそらくその子の兄であろう子がやってきて、わたしに謝ってきた。彼らが座っていた席を見るとほとんどなくなっていたパフェが一つあっただけなので、「親はきていないの?」と尋ねると、うん、と答えた、偉いね。お父さんは何しているの? とちいさいほうが聞いてくるので仕事、というと兄のほうは「ほら、悪いから」とはなそうとする。わたしは彼らがかわいく思えてきたので、何かプレゼントを、と思ったのだが、今日もってきた仕事の資料は大人向けの、とうていこどもには渡せないものばかりであった。いつもここに来ているの? はい。じゃあ明日いいもの持ってきてあげるよ、と約束し、明日は早起きしなくちゃならないのか、と家に帰った後、少しだけ後悔し、ため息をついた。はあ。
 ほい、もってきたよ。わたしは兄弟の席についてブラックコーヒー一杯とパフェ(いちご、メロン、バニラアイスクリームが二つ、そして生クリームとミントのもの)とこどもたちのアイスティー(ガムシロップを二つ)を頼んだ。兄のほうがすみませんという。気にしないでいいよ、といいわたしは兄がしゃべるために口を開けたとき、虫歯で真っ黒なことのほうが気になった。緑のデニム地のショルダーバッグから「妖怪図鑑」を取り出す。ほら見て、というと兄弟は前のめりになる。フランケンシュタインを見せると兄は興味があるようで、うれしそうにみる。弟の方は目をそらした。わたしは彼らの年齢が気になったので、聞いてみると小学五年生と一年生だそうだ。そうなんだ。注文したものがすべてとどいた。
 わたしは兄弟をびびらせてやろうと、このおじさん、ねじがぶっささっているでしょ。これはね、フランケンシュタイン博士がね、生きた人間といいかけたところで兄弟が不思議そうな顔をする。そうなんだよ、実はもともと野球選手だったんだけどね、頭をよくしたいっていうから博士が手術して失敗したの。それで頭をつなぎ合わせたのだけれど、皮膚を切りすぎて血が止まらなくて、でもどうにもならないからねじで止めたんだよ。ふたりは疑ったような顔をしているので、ほら見て、顔が青ざめてる、血が足りてないから、とつけたす。ふたりはだまった。
 次は何の話をしようかと本のページをめくっていると、わたしの指にきずがあることに、弟は気づいたようだ。単なる湿疹の治りかけなのだが、びびらせるのもおもしろいと思ったので、さっと指をかくした。続きはまた明日ね。会計の後、そういってわたしは家に戻る。兄弟は信号をわたりながら、わたしに手をふった。

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