小説

『過去』宮下洋平(『過去世』)

 首を右に動かすと、肩もすこしついてくるのだが、そうやって目覚まし(に使ったことはないのだが)時計をみてみる。すると朝の九時だった。
 まあいいか、とおもいながら起き上がり、リビングへと向かう。カモミールティーを入れて、仕事のネタ探しに新聞を読み始めた。母はすでに仕事に行ったようだ。父は病気で死に、二人の兄弟(続き柄でいうと二男と三男)はそのころ、事故で死んでしまったため、二人で寂しく暮らしている。
 新聞や雑誌の文化の記事、そこにはミケランジェロのダビデ像やイタリアの美術館、またアイヌの民芸品などがのっている。俺の職業はフリーライターで、最初は好きな作家の記事を読んでいたときに「バイト募集」とあり、学生や主婦も募集とあったので応募して、やっていた。大学を卒業した後、出版社に就職し、そしてフリーライターとして独立してやっている。わたしは仕事依頼のメールを確認してみた。テレビタレントのインパクトのある発言をまとめる仕事、何かを体験してそれをかく仕事など、まだまだ自分で仕事を選ぶ、ということはできないし、もらえる金も安い。まあ二人で暮らすぶんにはまったくこまらないのだけれど。
 次に映画評や書評ページなどをみて、流行の映画や本を追いかける。次にテレビ欄。そして次には世間を賑わせている(とよく言われてしまうような)ニュースを確認した。すると、交通事故でこどもが死亡、などそういったニュースも目についてしまう。わたしはそういったニュースをみたり読んだりすると、いまだに吐き気を催してしまう。気を紛らわせようと、わたしは岡本かの子の本を三冊ほど手に取った。
 まずは『愛よ愛』を読む。《この人のうえをおもうときにおもわず力が入る。この人とのくらしに必要なわずらわしき日常生活もいやな交際も覚束なきままにやってのけようとおもう。この人のためにはすこしの恥は姿を隠しても忍ぼうとおもう》そして少し飛ばす。《子を思えばわたしとても寝られぬ夜夜が数々ある》《そして涙ぐみつつふたり茶をのむ夜更け》わたしは本を閉じる。次に『愛』《私は苦しみに堪へ兼ねて必死と両手を組み合わせ、わけの判らない哀願の言葉を口の中で》つぶやく、とよんだところで、わたしはまた本を閉じる。こういうときは俳句のほうが読みやすいか、と思い小説を片づける。「かろきねたみ」淋しさにに鏡にむかひ前髪に櫛をあつればあふるる涙。そして、悲しさをじつと堪えてかたはらの灯をばみつめてもだせるふたり。
 わたしは家で仕事をするのをあきらめることにする。気分転換に、外に出ようと思った。パソコンと資料を持って準備をした。
 外に出て、しばらく左に歩くと、商店街(八百屋が二つ、雑貨店、美容院も二つ、ファストフード店、不動産、コンビニなど)がある。わたしはそちらのほうへは行かず、マンションにすんでいる人だけが通れる道を通り、静かな方へでる。人通りは少ない。郵便局、信号、コンビニ、神社へと進んでいき、大きな十字路(交通量調査のバイトや花束がいたりあったりする)の信号をわたらずに、カフェに入った。

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