小説

『過去』宮下洋平(『過去世』)

 最初にかく記事はこどものいじめ問題にしようと思い立つ。「こどもの」という一文が少し気になりもするのだが。何かネタはないかと、わたしは岡本かの子の『兄妹』という作品を開いた。《東京市内から郊外へ来る電車が時々二人の歩く間近に音を立てて走った。電車とは別な道の旧武蔵街道を兄妹は歩いているのだ》妹は兄と一緒に帰るのが楽しいという。ふたりはわざと電車にのらない。かの子は兄の語る言葉は、寂しくうら悲しい、思春期のなやみの哲学的な懐疑も交っているのだ、と書いている。わたしは坂口安吾の『風と光と二十の私と』を開く。私は近頃、誰しも人は少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があるのではないかと考えるようになった、とある。実際、あの子たちもそうなるのだろう。
 今日は何の話? と弟が尋ねてきた。今日はドラキュラと伝えるとふたりとも知っている妖怪らしかった。本を開くとワイシャツ、黒のスラックス、革靴、ベスト、黒のジャケット、蝶ネクタイの洒落た男がのっている。白い手袋をしているのを見るとタクシードライバーかもしれない。兄はそうじゃないでしょ、マントと牙があるじゃない、という。あら、ほんとだね。
 ドラキュラといえばね、近くに大きな公園があるでしょ。そういうと弟が学校の遠足でいったことがある、といった。そこでね、俺みちゃったんだよね。こんなにスタイリッシュじゃなくて豚面に全身黒タイツみたいな恰好していたのだけれど。うそだよね、と兄弟が怖がる。俺は今までにうそなんかついたことないよ。なんなら明日にでも探しにいってみようか。ふたりは少し考え込んで、行きたい、といった。それはいいのだが、まあ親が許さないだろうな、と思った。ところでいつもふたりでカフェに来ているけれど、親はどうしたの? 兄は少しうつむいて、母は夜の仕事で、父はいません、といった。わたしはかれらを笑わせようとたくさんの嘘話を披露した。
 お母さんは許してくれたの? とラインを送ると、うん、とだけ返事が来た。親が許した、ということに、あきれるというかうんざりもしたのだが、よし、公園の下見にいってこよう。
 俺はこれから仕事にいってくる、と母に告げて準備をした。待ち合わせの十字路になるべくはやくつくようにした。
 約束の時間の三分前に兄弟はやってくる。じゃあいこうか。わたしはふたりと手をつなぐ。カフェとは反対のほうに行き、コンビニ、保育園、ペットショップを通り過ぎた後、公園の入り口へと向かう並木通りに入っていく。人通りはない。スキップでもしようか、といい三人でスキップをする(昼ならはずかしくてこんなことできない。貴重なシーンである)。通りを抜けると、保育園や小さな公園が見えた。俺はあの公園でね、鍛えようとして、ほらあのカラフルな滑り台があるでしょ。あそこで懸垂しようとおもったのだけれど、なんか妙にはずかしくなってね。なんで、と聞かれる。お化けの視線を感じたのかなぁ。
 公園につく。その前に柵があるのを見て兄はこれ入って大丈夫なの? とまじめなことをいうのでいいんだいいんだ、と軽くいった。弟もそれについてくる。入り口にトイレがあったのでいく? といったら大丈夫だ、と。ふん、余裕にしていられるのもいまのうちだ。
 事務所の横に自動販売機があったのでぶどう味のジェラートをふたり分買った。俺もこどもの頃ね、お父さんにつれられて(競馬をはずしたあとのストレス発散としての散歩だと思うのだけれど)この公園によく来たんだよ。それでよくアイスを買ってもらったんだ、とふたりに渡しながら言う。ありがとう、とおちゃん。

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