小説

『プラットホーム』サクラギコウ(『羅生門』)

 その後の記憶がない。

 女を助けるためとはいえ、一人の男の命が消えた。俺の廻し蹴りで男は最終電車が来た線路に転落した。ホームドアが設置されてない駅だ。 
 とんでもないことになってしまった。人命を奪ってしまったのだ。できることならあの時に戻りたい。あの日あの時間に偶々あのプラットホームにいただけなのに、加害者となり裁かれようとしている。

「罪びとになってしまった」という絶望感に沈んでいた俺を救ってくれたのが、弁護士の言葉だった。
「絶対に正当防衛を勝ち取りましょう!」
 起きた事実は全面的に認めた。起訴が決まり、裁判が終わるまで保釈が認められた。弁護士の説明ではこのケースは「正当防衛」か「過剰防衛」かで争うことになるという。正当防衛なら無罪、過剰防衛ならこちらにも非があったということになる。
 次第に気持ちが軽くなっていった。裁判が始まると色々な事実も具体的に分かってきた。あの時の女は町で男に声を掛けられた。つまりナンパされた。そしてバーで一緒に飲んだ。男にとって、さあこれからだという時に女はあっさり帰ろうとした。怒った男は駅のプラットホームまで付いてきて執拗に絡み続けたのだ。ホームに居た人たちも喧嘩のやり取りを聞いていたので干渉しなかったのだ。
 女がしつこい男を振り切りたいと思った時、俺がホームにやってきた。運が悪かったと言えばそれまでだが、女から見て俺は助けてくれそうな男に見えたのだろう。実際に助けに入った。そして結果は最悪になった。
挑発的な服装をした女が悪いのか、執拗に迫った男が悪いのか、男を死なせてしまった俺が悪いのか、もう考えるのも嫌だった。人助けをしようとして人を死なせ、裁判にまでなった。会社から辞表の提出を勧められることはなかったが周囲の眼は冷ややかだった。「恰好つけたかったんじゃないの?」という声が聞こえてきた。心身ともにぼろぼろになっていた。
 けっきょく俺は会社を辞めた。通勤するたびにあの駅を利用しなければならないからだ。もうたくさんだ。

「なぜ駅員に連絡しなかったのか」
 検事に聞かれた。検事さんも分かってない。疲れていたのだ。もう一度あの階段を降りる気力がなかった。まもなく最終電車が来るのだ。乗り過ごしたらタクシーで帰らなければならない。今月はピンチだ。余計な出費は避けたかった。それらのことが一瞬に頭をめぐり、嫌だなと思いながらも仲裁に入ったのだ。その上、夜遅くなると駅の執務室の窓はカーテンが引かれている。中に駅員さんはいるだろうが、すぐに出てきてくれたかどうか怪しいものだ。

 「正当防衛」が成立するかどうか、俺にとって重大なことだ。もし認められなかったらと考えると絶望的になる。知人でもない女のために人を死なせてしまったのだ。男が死んだという事実は変わらないし、生き返ることもないのだ。

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