小説

『the study』阿部哲(『聖書・創世記』)

 ママはまだ何か言いたそうだったが、フィギュアに視線を戻した。お気に入りのロシアの美少年が、あるいはそうさせたのかもしれない。

 部屋に戻ったたかしは勉強机の上にシミュレーターを置くとさっそく中を覗いてみた。が、何ひとつ見えない。そこにはただ漆黒の闇が広がっているだけだった。
「ん? おかしいな……」たかしは電源のようなものがないかシミュレーターを調べてみた。すると‘FF’と書かれた小さなつまみを見つけた。たかしはつまみを最大に開けるともう一度接眼レンズを覗いてみた。しかし、相変わらずレンズは暗黒を写すばかりだった。
「変だな、うーん……、光れ。光よ、つけ!」
 そう言いながら、たかしはブラックボックスの側面を軽く指で叩いてみた。すると、暗闇に少しずつ茶褐色のもやのようなものが混じり始めた。おお、たかしはそう言うと、しばらくもやを眺めていた。時間が経つにつれて、もやには白や青の物質と、黄色や銀色の稲びかりが混在しはじめ、しまいには一個の球状の惑星が確認できるようになった。
「水かな? ……うん、水があるぞ……」
 見ているうちに取っ手のリング状の部分が動くことに気付いた。手前の方、つまり目の方へと引いてみると惑星は一瞬で遠ざかり、ピンポン球のようになった。逆にリングを奥の方へ押しやると惑星は瞬時に大きくなり視界一杯に広がった。リングを左右に回してみると惑星はグルグルと回転し、様々な角度から観察できることもわかった。
 こんこん。ノックのあとにパパの声が聞こえてきた。
「……どうだい? たかし。ちゃんと見えるかい?」
「うん、問題ないよパパ」
 そう言いながらたかしがドアを開けると、目の前にガリガリ君のコーラ味が現れた。パパはたかしの目の前でそれを小さく振って見せた。
「あ、ありがとうパパ」
 たかしがアイスを取ろうとするとパパはひょいと持ち上げ、その手をかわした。
「いや、……パパは自慢をしただけだよ。おいしそうだろう?」
 たかしは足元を向くと、こみ上げてくるものを押し殺した。(……くそっ、やられた!)たかしは自分の顔から笑いが消えるのを待って、それから顔を上げ、パパに言い放った。
「地球だね」
 ほう、という驚きがパパの表情に浮かんだ。たかしは続けた。
「いくつかの衛星と地球を除けば、太陽系に液状の水がある星はないよ。パパはさっき『惑星』と言ったはずだ。つまり、あの星は地球だよ」
 パパは天井の方に視線を向けると、少し考え、ふむ、と言った。そしてガリガリ君を、今度はちゃんと手渡した。
「操作の点でわからないことは?」

1 2 3 4 5 6 7