小説

『the study』阿部哲(『聖書・創世記』)

 明日から夏休みという日の夕食の最中、思い出したようにパパが口を開いた。
「たかし、自由研究のテーマはもう決めたのかい?」
 たかしはナポリタンのフォークを止めてパパに応えた。
「いや、なんにも考えてないよ、パパ」
 うっとりとフィギュアスケート中継を眺めていたママがチラリとたかしの方を見たので、たかしは慌てて付け加えた。
「明日ね、宿題全体の予定をたてるんだ。だから、そのときにしっかり考えるよ」
 そう言って一人頷くたかしを見ると、ママはゆっくりとテレビへ視線を戻した。パパはそうかあ、と言いながらゴソゴソとテーブルの下から顕微鏡のようなものを取り出した。接眼レンズや鏡筒は通常の顕微鏡と変わらないが、プレパラートを置くステージの部分が小さなブラックボックスになっている。また、反射鏡なども見当たらない。
「パパ、何これ? 顕微鏡?」
「これはね、今度パパの職場から発売予定のシミュレーターなんだ」
「シミュレーター? 何のシミュレーションをするの?」
「うん。太陽系の、ある惑星の歴史が観察ができるんだよ。どうかな? よかったら自由研究に使ってみないかな?」パパはそう言うとシミュレーターをたかしの前に置いた。
「ふーん、惑星の歴史……、面白そうだね」
 ショートプログラムを堪能したママがそれを見て口を開いた。
「あら、ダメよ、そんなの。トイザらスじゃないんだから。内申書に響いたらどうするの?」
 小学五年生のたかしは中学は私立の進学校へ進む予定だったので、ママは若干神経質になっているのだった。
「酷いなママ、これはオモチャじゃないよ。これは、物理学や自然科学、それから一部の社会学者のために開発されたものだよ」開発に関わっているパパは弁明した。
「……ふーん、研究用。じゃあこれ、クラスの子全員が持ってるかしら?」ママが尋ねた。
「クラス? ハハッ。クラスどころか、研究室のを除けば世界中にこれ一台だね」パパはそう言うと得意げにコップにビールを注いだ。
「なら余計にダメよ。誰も持ってないなんて。今はどんな些細なことでもイジメに繋がるのよ」
 そう言われるとパパの顔はみるみるうちに曇った。たかしの知る限りパパがママに口論で勝ったことは一度たりともなかった。勝ちそうになったことすらかった。だが、たかしはパパが大好きだった。
「……変に、自慢さえしなければ、イジメは大丈夫だよママ。先生も理解があるから平気。パパ、これ借りてもいい?」
 たかしの言葉はパパを嬉しくさせるのに十分だった。「もちろんだよ!」

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