小説

『クリとネズミとタイガーと』柏原克行(『金の斧』)

「イズミさんや課長はこんな仕事、その…平気なんですか?」
「あんまり深く考えると、胃…ヤラれるわよ。」
 イズミはそう言うと大我の前に胃薬の入った小瓶を置いていった。それが妙にリアルで恐怖すら覚える。
「お前さんがこの会社に入社したのも何かの縁じゃろ?それは他の社員にも言える。ならば、会社を去るのもまた縁次第でしかない。縁が断ち切れた、只それだけのこと…。自分の考えに正直であれば、それで構わん。気に病むことはない。当然、お前さんが下した決断に関して異を唱える者もいなければ、その理由すら明かす必要はない。リストラを命じられた者がお前さんに選ばれたという事実を知る事も勿論ない。」
「しかし…。」
「まぁ早期退職となれば、その者が積み立ててあるよりも多額の退職金が入る仕組みではある。不幸な面だけとは限らんよ。まんざらこの会社、早々に見限った方が得やも知れんしな。毎年の様にリストラを実施しておる経営状況じゃ。沈みゆく船と言えん事もない…。」
 根津の話は解らなくもないが自分の判断で誰かが職を失ったり泣きを見るのは確実で、まさに他人の人生を背負ったかのような重苦しい責任が大我のその肩に圧し掛かって来るのである。

 二人が退社した後、大我は狭い部屋に独り残り項垂れる様に背を丸め頬に手を当て片肘を付きながら候補者のファイルに目を通していた。候補者の顔写真と目が合う度に何とも言い難い虚しさと申し訳なさで胸が苦しくなり気がどんどんと重くなる。
「(そんな目で俺を見るなよ…。)」
 何の試練か或は嫌がらせか。仕事とはいえ他人の人生を左右する決断を、その人の築いた実績や人となりを知らぬ自分が下さなければならないのだ。こんな理不尽はない。そして同じく理不尽を更に誰かへと己の手で押し付けなければならないのだ。今までその当事者達が与り知らない場所でこんなにも無機質に大きな決断が下されていたのだとすると腹立たしくもある。だが選ぶ側になってみて初めて苛まれる苦悩もあるのだと実感するからこそ、あの二人の何処か達観し割り切った姿勢や物言いが現実味と納得を生む。これは普通なら間違いなく病む仕事である。なんなら選ばれる方より選ぶ方が苦しむのではないだろうか。

 大我は取り敢えず底の浅い二つの箱を用意した。それを机の左右両端に並べ片方を合格の箱とし、もう一方を不合格とするのだ。明確な合否基準が確立できない以上、この仕事を一任された大我の個人的な好みや印象に寄るのは仕方がないことである。繰り返し何度か選別を行い篩に掛けるしか思い浮かぶ適当な選別方法がなかった。

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