小説

『粗忽なふたり』室市雅則(古典落語『粗忽長屋』)

 俺だ。
 俺が死んでいる。
 桜木町の駅のそばで。
 アブラゼミがうるさい。
 待て。
 そいつは俺ではない。
 何故なら、俺は生きて、自分の目でそいつを見ている。
 手のひらに鈍い痛みを感じている。
 さらに今の俺の真っ黒の影はしっかりと立っている。
 少なくとも影だけは。
 だから、俺と同じ顔をした男が死んでいるだけだ。
 待て。
 俺は本当に生きているのだろうか。
 就職活動でこれまで何十社も新卒採用に応募したが、一社も受かっていない。
 年明けすぐに初めて、すっかり今は真夏になっている。
 大学卒業後の社会に自分の居場所が見つけられない。
 社会不適合者の烙印をわざわざ自ら貰いに行っているようだ。
 そもそも俺は子供の頃から映画が好きで、就職活動を始めた頃は、映画会社やテレビ局に入社し、バリバリに活躍することを夢見ていたけれど、そんな大手に非一流大学在籍の俺がひっかかるわけもなかった。
 大手を諦めて、エンタメ系の企業であれば良いと大手の下請けを引き受けている会社、インデペンデント系の会社にも応募した。
 どれも不採用だった。
 「内定」への糸口が見当たらない。
 今後の活躍のお祈りをされるメールばかりが届く。
 祈るくらいなら俺に居場所を与えて欲しい。
 もう俺の気持ちは折れ、夢を見るのは止めにしていた。
 もうどこでも良いと妥協し、印刷会社、ファストフード店、コンピュータ会社を手当たり次第に受けた。

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コメント
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    現代の「アイデンティティ喪失」を、古典落語に見出す著者の眼力とユーモアに喝采!(8月期優秀賞受賞者:poetaq)

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    有り得ない筈の展開なのに、巧みな語り口にぐいぐいと引きずり込まれてしまいました。主人公と一緒に自分の脳まで溶けてしまったかのような感覚が新鮮で楽しいです。(8月期優秀賞受賞者:木江恭)