小説

『きのうの私』まやかし(『ドッペルゲンガー』)

 きっとドッペルゲンガーは、思い出の場所で眠っているのだろう。私に見つけられるのをあのころからずっと待っているのだ。世界の下で塵にまみれ、塵に還ることもできずに一人で私を待っているのだ。迎えに行かなくちゃと思った。
 気まずい思いをしながらも、シャベルを持ったまま電車に乗って、町田駅に行った。小学生のころから大学を卒業するまで遊びまわったこの街なら、たくさんの私がいるだろうと思ったのだ。
 しかし、そこは私の地元とは比較にならないくらい変わってしまっていて、ドッペルゲンガーがいそうな場所は見当たらなかった。
 駅から少し離れたところにある喫茶店に入る。一人でいる方が気楽なのに、なぜだか心が落ち着かない。誰も私なんか気に留めていないのだけれど、どうにも周りの目が気になってくる。シャベルは店の前に置いてきたのに。
 そわそわして窓の外を眺めると、楽器を担いだ若者が歩いていた。そういえば近くにライヴハウスがあったはずだ。会計を済ませて追いかけていくと、大学生のライヴであることがわかった。飛び込みでチケットを一枚かって地下に降りる。
 防音扉を開ける前から音の振動が伝わってくる。二重になった扉を開ける。すぐに音楽しか聞こえなくなるくらいの大音量に包まれる。それほど大きくないライヴハウスに二、三十人そこそこの客がいた。場違いな私は人だかりに入り込む勇気もなく、壁際に据えられた椅子に座る。
 目をつむっていてもわかるほど眩しい色とりどりに変わる照明。下腹部に響くベースライン。弾むスネアドラム。ハイハットの音。オーバードライブの効いた乾いたギター。格別上手と言えないけれど、まっすぐ伸びるヴォーカルの歌声。
 自分が置いてきた青春がそこにはあった。昔の自分とオーバーラップする。ああこれだ、と体のどこかで声がする。
 掛け声とともに飛び跳ねる客。汗の匂いと人の熱。どうやらコピーバンドのようだ。いつからか音楽を聴かなくなった私にとっては、聞いたことのない曲ばかり演奏されていた。
 羨望が嫉妬に変わりかけているときに、私が青春時代に愛して止まなかった恋の歌が流れた。一気に脱力していく。同じ曲に惚れ込んだ嬉しさが湧き上がってきて、あとからついてくるなんとも言えない感情がうっとおしくて逃げ出した。
 きっとそこいらじゅうに、昔の私が埋まっている。きのうの私、おとといの私、先週の私、先月の、去年の、数年前の。何千何万の私を今日一日で掘り起こすのは無理なことだ。埋まっているはずの場所が掘り起こせなくなっていることもある。今の私が、今までの私たちを塵に還してやるほかないのだ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9