電話をかけてきたのは、私が以前勤めていた出版社で、雑誌の編集長をしている男だった。
「えっ、団地で幽霊?」と、私が聞きかえすと、「ああ、ここ数か月の間にもう何回も出ているらしいんだ」と、編集長は言った。
「それで、私にその記事を書けというんですか?」
「そう」
「この1月の寒空に幽霊だなんて、そんな季節はずれの話題が売れるんですか?」
「季節はずれだから、おもしろいと思うんだよ」
「はあ……。で、どんな幽霊なんですか?」
「いや、そういう具体的なことはまだ判っていないんだ。だから、それを君に調べてもらって、なんとかおもしろい記事にしてもらいたいんだよ」
ばかばかしい、と、思わず口から出そうになったその言葉を、私は慌てて飲み込んだ。
「じつを言うとね、ある大物経済評論家に〈今年の景気を占う〉というテーマで書いてもらう予定だったんだけど、その人が急性盲腸炎で入院しちゃってね……」と、編集長は言った。
「なるほど。その代わりに団地の幽霊ですか? それにしても、大変な落差ですね」
「そうなんだ。わらをもつかむ思いというやつなんだ。君もいろいろと忙しいと思うけど、そこをなんとかスケジュールを調整して、引きうけてくれないかな、頼むよ。……いや、お願いします」
調整しなければならないほどのスケジュールなど、私にはなかった。勤めていた出版社を辞め、フリーのルポライターとして独立したのは5年まえだが、雑誌業界は不況つづきで、期待していたほどの仕事の依頼はなかった。
気乗りがしなかったが、背に腹はかえられなかった。それに、その編集長からはたびたび仕事をもらっていたので、義理もあった。
私が引きうけることを告げると、編集長は、「いやあ、すまないね。感謝感激雨あられ。本当に恩に着ます。ありがとう」と、大仰に謝意の言葉を並べたてた。電話を切ったあと、私は小さなため息を吐いた。
数日後、私は、幽霊が出るという団地へ行って、編集長に紹介された自治会長に会うことにした。その日の朝、自治会長の面会予約をとるために電話を入れると、それならば午後からにしてもらいたい、ということだったので、私は、自宅で遅い朝食をとってから出かけることにした。