「もう一箇所、行きたいところがあります」
田村くんのまつ毛が長いことに、その時私は初めて気づいた。
真夜中、私達は旅館の駐車場に戻って来た。
「何かあっても僕が責任取るんで」
田村くんは車から降りて煙草に火をつけた。若い割に、笑うと皺がくしゃっと出るタイプだ。
「ドラム…楽しみにしてます」
田村くんは拳を私に突き出した。私もならって、拳を彼に突き出す。こうなることはどこかで分かっていたのかもしれない。いや、こうなればいいと、私は思っていたのかもしれない。
次の日の朝。
宴会場へ若い人がたくさん入ってきた。軽音楽部の部員やOB、私の知ってる人も知らない人も、それぞれに持ってきてくれた荷物をみんな搬入し、ドラムセットも組み立ててくれた。このドラムはなんと、私が高校生の頃軽音楽部で使っていたものを運んでもらったのだ。
宴会場の真ん中で、昨日楽器やら機材を貸してくれた田村くんの友達が仕切ってくれている。
「昨日はどうも。今日は僕がPAやりますんで。任せてください」
田村くんと似た、くしゃっとした笑顔で彼は私に言った。
そうだ、田村くん。まだ来てないのかなと、宴会場の入り口の方を振り向く。そこにはユウナがいた。
ユウナは、ピンクのキャリーケースを手にこっちを見ている。いつでもチェックアウトできる、というような様子だ。
「帰るの?」
「帰るよ」
後から高岡さんが追って来た。
「ユウナさん。昨日話したでしょう」
「私は納得なんかしてない。なんでプロがアマチュアと一緒に演奏しなきゃいけないのよ。一回もリハしてないのに。メンバーがいないなら中止よ」
「お願いします。お客さんだって来るんですよ」
「リハもしてないのに無理に決まってるでしょ」
「リハは今からします!」
そう言ったのは私だった。思ったより大きい声が出て自分でも驚く。
「茜が、やるの」
「そうです」
「あんた私の曲なんて知らないでしょ」
「知ってる」
「知ってても叩けないでしょ」
CDを買った日からずっと指先でリズムは取っていた。車のハンドルで、厨房の台で、部屋の机で。そして昨日の夜中まで、9田村君の知り合いの家で私はドラムを叩かせてもらった。もう後には引けない。
「やらせて下さい」
「無理」
私を無視してユウナは玄関の方へ行こうとした。そこへ
「あれ〜帰るの?」
ベッチンが現れた。隣で十郎丸が、穂積ちゃんの手を繋いでいる。
「帰るのは早いっしょ〜」
お気楽なベッチンはとうとう前歯が一本なくなっていたけど、とてもいい顔で笑っていた。
この時、ユウナの目が潤んだように私には見えた。ベッチンは穂積ちゃんの代わりに、ベースを背負って立っていた。
宴会場の照明がステージにだけ当てられることを私はこの日初めて知った。