男の人はいたずらを思いついたというようにわたしに笑いかけると、パチン、と空を割るような音を立てて指を鳴らした。さっきとは比べ物にならない風が巻き起こり思わず目を閉じる。
「うぉ?」
聞き慣れた声に目を向けるといつの間にか目の前におじいちゃんが立っていた。
「ちょっとちょっと、あんた、どういうことだ? あんまり別れの時間とかとってもらうと逆に辛くなるというか」
わざとらしいくらいのしかめっ面をして見せながらこそこそと男の人に囁くおじいちゃんに、その人は晴れやかに微笑み返した。
「お代、まだいただいていなかったようなので」
「へぇ?」
おじいちゃんがひとごとみたいな変な声をもらし、「いや、だって、100円払ったじゃないか」といいかけると、待ってましたというようにサトシが勢い良く手を差し出した。
「早く返してよね! 俺の100円!!」
「……あの、財布とってくるんでちょっと待っててもらえるかい?」
男の人はすました顔でゆっくりと首をふった。
「残念ながら終演時間がせまっていますので」
「そんなこと言われてもなぁ」
ぽりぽりと頭をかきながらおじいちゃんはサトシを見返す。サトシはまっすぐに手を差し出したまま譲らない。おじいちゃんは「困ったなぁ」とつぶやきながらぐるりとあたりを見回す。わたしだけを避けながら。わざとらしくこっちを見ないようにしている。
「おじいちゃん」
「んー?」
呼びかけてもふりむかない。明後日の方向を見て何かを考えているふりをしている。でも、おじいちゃんが全身で、というかおじいちゃんを包む空気もふくめて丸ごとわたしの様子をうかがおうとしているのがわかる。おじいちゃんとわたしの間にはスッキリとした月光がさしこんで、わたしたちをつなぐ糸みたいに静かにはっきりと輝いている。
「帰ろうよ」
いたずらが見つかった小さな男の子みたいな顔をしたおじいちゃんは、少しだけ名残惜しそうに遠い月の向こうに続く道を振り返って。そしてまっすぐな笑顔を浮かべて強くわたしにうなずいた。
「よし、帰ろう」
手をつないで歩き出したわたしたちに男の人はみんなの進む方向とは逆を指す。
「今回の分はみなさままとめて見学扱いにしておきますのでお支払いは次回で結構ですよ」
そう言いながら見送ってくれた。
月明かりの草原とその男の人が影絵の中に吸い込まれていくみたいに小さくなって見えなくなるまでわたしとサトシは何度も振り返って手を振り続けた。彼の姿がフゥーっと消えた瞬間、わたしたちはどことなく見覚えのある街角に立っていた。月の明かりは遠のいて、その代わりに角のコンビニと街灯の明かりがあたりを照らしていたけれど、薄っぺらで味気ない白さに思えた。