家の前まで来たとき、サトシが「あぁ!!」と急に大きな声をあげた。
「俺の100円かえってくんの??」
わたしは急に眠くなってもう100円なんてどうでもいいじゃん、て思っていたけれどサトシは心配で仕方なさそうだった。
「わかったわかった。次に行ったときにちゃんとお前の100円返してもらってくるから」
おじいちゃんが大きなあくびをしながら適当な感じでそう言うとサトシは満足そうに笑って自分の家に走って行った。
あの遠い夜のことはずっと夢だと思っていた。
翌日、おじいちゃんは熱海に旅立ち、それからあの映画館の話をすることはなかった。サトシともなんとなく話すきっかけがつかめないまま、遊ばなくなり、中学に入る頃には挨拶すらしないような微妙な関係になり、大学で再開して、この春に結婚する。わたしだけが先に来たけれど、明後日の葬儀にはサトシも来れると言っていた。
あの夜、おじいちゃんが月の道をたどってどこに行こうとしていたのかはわからないけれど、きっといつか誰もが行く場所なのだろうなと思っている。
「きれいな満月ね」
お母さんが片付けの手を止めてふと呟いた。熱海のおじいちゃんの部屋からは海が一望できて、いつの間にか真っ白な光を海に投げかけながら月がゆっくりとのぼりだしていた。おじいちゃんの過ごした部屋。まだ沢山のおじいちゃんの気配が残っている。お母さんもわたしも油断すると泣きそうになるのをこらえながらできるだけ無心になって手を動かしていたけれど、その月の光は優しくて眩しくてどうしても目を離すことはできなかった。
「さて、今日はこれくらいにして……、あれ? これサトシくん宛だけど、何かしら?」
机の上に置かれたサトシ宛のぽち袋。いつからあったのだろう? 月の光に照らされるまで不思議と気がつかなかった。
手に取ると袋の中に小さくて硬いものが入っているのがわかった。お母さんがとめるのも間に合わないくらいの勢いで中身をつかみだす。
小さな銀色のコインは月光を凝縮させたように鈍く輝いていて、あの夜の草原の香りがまだ残っているようだった。今度こそおじいちゃんは月の向こうに続く道を笑いながら歩いて行ったんだ。あの日みた月光と草原が脳裏に蘇る。いつかわたしとサトシがもう一度月光映画館を訪れるとき、きっとあの夜のことが白いスクリーンに映し出されるんじゃないかな。