「こちら、よろしいですか?」
青年はこんな老人にさえ嫌な顔せず、むしろ爽やかな笑顔で迎えてくれたことが嬉しかった。うっかり倒した杖をすぐに拾いあげてくれた親切な青年に対して、私は「旅行ですか」と自然に言葉を発した。
「ええ、一応旅行です。一人ですけどね」
驚くことにその声のトーンや話すスピードまでもが和幸に似ていた。
「私も同じです、一人旅というやつです」
「一人もいいものですよね、自分のペースでゆっくりできます」
「そうですな。どうしてこの街を旅先としてお選びに?」
「ただ、地方都市を選んだらここだっただけです」と青年は笑みを浮かべ、そして「おじさんも観光ですか」と返した。
「いやぁ、私の生まれ故郷なんです……だから、正しくは里帰りですね。そう、最後の里帰り」
「何かご用事でも?」
「用事ね……」
「お待たせ致しました」と青年のテーブルに置かれた珈琲の香りが優しく私まで届き、そして続いてウェイターが私に声を掛けた。
「お待たせ致しまして申し訳ございません。ご注文はお決まりでしょうか」
「ホットをお願いします」
「かしこまりました」
私はテーブルに置かれた冷たい水で少し喉を潤した。
「用事は……最後に、謝っておきたくてね」
「謝る……どなたにですか」
「弟にね……だけど、これは私のわがままだから叶うかどうかは分からない。もしかすると会うことさえ叶うかどうか……」
青年はそっと一口の珈琲を飲んだ。
賑やかだった女性グループが店を後にし、それと同時にジャズの音色が耳に届きやすくなった気がした。
「弟さんとは、何年くらい会ってないんです?」
少し踏み込んだ質問のようにも思えたが、きっと、僕に色々と話を聞いてほしいに違いない。
「もう、うん十年は経つかな、最後に会ってから」
「連絡は取られてるのですか」
僕達の会話を邪魔せぬよう、ウェイターがそっと老人のテーブルに珈琲を置いた。そして、それを合図とするかのように老人がゆっくりと首を横に振る。
「十年ほど前、電話したことはあるが……こちらが名乗ると同時に電話を切られてしまった」
僕はそこで質問をやめた。きっと、複雑な過去が存在するに違いない。
そして、老人はカップをゆっくりと口に運んだ。
私は彼が一人でここへやって来た理由を知りたかった。思えば和幸は好奇心が強く、何事にも挑んでゆく男だった。彼も同じように好奇心旺盛な男で、暇さえあれば一人旅を繰り返しているのかもしれない。
「差し支えなければお聞きしてよろしいかな。あなたは、どうしてお一人で」