うっとりとした口調で語るユリの顔は、美しかった。まるで、今もその声が聞こえているようにも見えた。
「ヤスくんはしばらく「もしもし」を繰り返していたんですが、電話の向こうが急に静かになりました。どうしたんだろう。いたずら電話だと分かって、受話器を置いてしまったのかもしれない。そう思ったとき「お前、アヤカだろ」という声がしたんです。私も友達も、アヤカではありません。アヤカは、私たちと同じクラスの真面目な委員長タイプの、女子からも男子からも煙たがられているような女の子でした。ヤスくんは「いい加減にしろよな」と言って電話を切りました」
コーヒーを一口飲んで、ユリは少し息を吐いた。俺のコーヒーカップは、とっくに空になっていた。白いカップには地層のような線が残っている。
「私も受話器を置いて、友達と顔を見合わせました。「いい加減にしろよな」ってどういう意味なんだろう。アヤカはヤスくんに電話をしたことがあるんだろうか。もしかしたら手紙を送ったり、家まで行ったりしてるのかもしれない。そう思うと、私の心臓はばくばくと音を立てました。ヤスくんは鬱陶しく思っているみたいだったけど、みんなに言えない秘密が二人にはあるんだ。羨ましかったのと、その秘密を知ってしまったこと、その両方に、私は何とも言えない気持ちになりました。私も友達もそれっきり、その遊びはしませんでした」
「で、そのヤスくんとはどうなったの?」
「中学までは一緒でした。でも、高校が別になってそれっきりです。同窓会もやってるのかどうか。やっていたとしても、私には案内は来ないでしょうし。たぶん、学校の先生になったんじゃないかな。昔、そう言ってましたから」
寂しげに笑った。ユリは、コーヒーを飲み干して、立ち上がるとコートに袖を通した。
「今日はありがとうございました。次はいつが都合いいですか?」
「あ、じゃあ、明日。また同じ時間、ここでどう?」
「分かりました。じゃあ」
伝票を取って会計を済ますと、ユリはこちらを振り返ることもなく店を出て行った。リンゴのキーホルダーが揺れていた。
店を出るとき、珍しくマスターが声を掛けてきた。
「あんたたち、いったいどういう関係なの? なんか変な話してっけど」
どう答えていいものか分からず、俺は曖昧な笑みを浮かべた。行きつけの店を選んだのは失敗だったなと思った。
次の日の同じ時間に現れたユリは、「レイン」の前で待つ俺を見て不思議そうな顔をした。
「ごめん。ここのマスターが俺らのこと気にしてるみたいだから、今日は場所を変えてもいいかな」
「そうですか。私は構いません」
目についたファミレスに入ることにした。がやがやとうるさくて、高校生たちの姿がやけに多い。テスト期間だろうか。
ドリンクバーで二人分のコーヒーを淹れて席に戻ると、ようやく人心地ついた気がする。鞄からクマのぬいぐるみを取り出して、テーブルの隅に置いた。
「今日はどんな話?」
店内はうるさくて、思わず声が大きくなる。隣の女子高生グループの一人がちらりとこちらを見た。
「そうですね。私、高校生のとき、演劇部だったんです。どこの部活にも入りたくないっていう生徒が集っているだけみたいな部でしたけどね。みんなやる気がなくって。活動のほとんどは、資料と称して買った映画のDVDを見ることでした。でも一年に一回、文化祭のときは、全校生徒の前で劇を披露しなくちゃいけないんです。一年生のときは裏方で、小道具や衣装を用意しました。二年生のときは、その他大勢の役で舞台に上がったんです」