「私の話を聞いてほしいんです」
マスターがコーヒーをテーブルに置く。その間、俺たちはわずかに口をつぐんだ。
「私の話を、ただ聞いてくれたらいいんです。お礼に、ここの支払いは私がします。それ以外でも、少しならお支払いできますけど」
ああ、いや、と手を振って否定の意を表す。
「そういうんじゃないんだ。ただ、気になって。話を聞けばいいの?」
「はい。お願いします」
ユリはコーヒーを一口啜った。形よく切り揃えられた爪にはボルドーのネイルが施されている。色彩の乏しい彼女の中で、唯一の鮮やかさだった。
「ええと。私の小学生のときの話です。私、好きな男の子がいて、名前は——そう、ヤスくん。あんまりカッコいい子じゃなかったんですけど、なんか好きだったんです。私、見て分かるように地味でイケてなかったから、あんまり男の子と話したりすることがなかったんです。でも、ヤスくんは私によく話し掛けてくれました。私が特別とかじゃなくて、ヤスくんはみんなにそうだったんですけど」
ユリはくすりと笑った。視線は、向かい合う俺にではなく、カップの中のコーヒーに向けられている。
「私が小学生のとき、おまじないの本が流行ったんです。その中のひとつに、好きな人の持ち物に触れて、その人の名前を反対にして三回唱える、誰にも見られなければ、次の日、その人とたくさん話せるっていうのがあって、私、それをやってたんです。けっこう当たるんですよ」
少し考えるように視線を泳がせて、ユリは言葉を続ける。
「あれは多分、三年生くらいだったと思います。私、友達といたずら電話をかける遊びをしたんです。今思うとひどいですよね。でも、その頃はナンバーディスプレイなんかなくて、誰が掛けたかなんてバレなかったし。気に入らない子の家にイタ電してやったんだって自慢げに話している子もいたんです。だから、私たちもやってみようってことになって。連絡網を使って、何人かに掛けてみました。だいたいは留守か、何回か「もしもし」って言って切られておしまいでした。こっちも無言でしたし」
一体なぜ、彼女はこんな話を俺にしているんだろう。そんな疑問が頭から消えないまま、彼女の声に耳を傾ける。
「電話を掛けながら、私はずっとどきどきしていました。連絡網にはヤスくんもいたからです。それまでヤスくんに電話なんてしたことはありませんでした。学校以外のヤスくんの声が聞けるかもしれない。そう思って、ずっとどきどきしていたんです。いよいよヤスくんの番がきて、私が番号を押しました。でも、なかなか出ませんでした。もしかして留守なんだろうか。もう切ろうよって友達も言ったけど、私はずいぶん粘りました。すると、コール音が途切れて「もしもし」と声がしたんです。ヤスくんでした。私は息を殺して、受話器を耳に押し当てました。「もしもし」と何度も繰り返される声にくらくらしました。だって、耳元でヤスくんの声がするんです。まるで囁かれているみたいでした」