明夫の表情は明るかった。
「現役で入ったって、留年する奴もいる」
「あなた、あそこの学生さんなのね」
真美が顔を輝かせた。
「それで駄目になるか、それとも糧にするのかは、本人が決めることではないでしょうか」
明夫は、まるで自分に言い聞かせるように、ゆっくりと発音した。
「糧・・・。そうね。失敗かどうかなんて、その先の生き方が決めることね」
飛悠はふたりと話しているうちに、心の中の霧が晴れてゆく思いがした。
パスタのトングをむんずと掴み、器用に取り分ける。ついでにお替わりまで注文した。「あなたは?どうしてここに?」
真美の少し高い声には、有耶無耶にさせてくれない響きがあった。
明夫が口を開く。
「彼女が妊娠したんです」
おめでとうございます。咄嗟に出そうになった言葉を、飛悠は呑み込んだ。何やら訳ありの様子だ。
「おめでとう」
真美は明瞭に言った。
「有難うございます。でも俺、実感がわかなくて」
「そうなの?」
「父親というものを知らない自分が、父親になって、家族を作るなんて」
真美は、すう、と息を吸い込んだ。
「親はなるんじゃなくて、なってゆくもの。家族は作るんじゃなくて、作ってゆくもの」
「なってゆくもの・・・作ってゆくもの・・・」
もらった言葉を反芻しながら、明夫は想像している様子であった。
「俺なんかでも、大丈夫かな」
「『なんか』なんて、言わないで下さい」
軽く怒ってみせた飛悠に、明夫が笑った。
「じゃあ」
咳払いして、明夫が言い直す。
「俺でも大丈夫かな」
「もちろん!」
飛悠と真美の声が重なった。
「何だか私たちこそ、家族みたいね」
「本当だ」
照れ隠しなのか、明夫がワイングラスを高々と上げた。
「遅くなりましたが、今宵、ここで出逢えた『疑似家族』に、乾杯!」
飛悠はコップを、真美はジョッキを上げた。
「乾杯!」
そのとき。隣のテーブルからも、控えめに「乾杯!」が聞こえた。声の主は、フロントにいた割烹着の女性。いつの間にか、隣に座り、様子を見守っていたらしい。
「もし宜しかったら、デザートをサービスさせて下さい」
「もちろん!」
今度は、三人の声が重なった。
満腹になった三人は、揃って部屋に戻るとまたすぐ、廊下で落ち合った。今宵の記念に、荷物の中からプレゼントを贈り合うことにしたのだ。
「これ、ページが擦り切れているけれど」
明夫が飛悠に手渡したのは一冊の本だった。題名は『フィールド・オブ・ドリームス』。
「大切に読みます」
飛悠が頭を下げる。それは高校球児そのものに見えた。人生における飛悠の試合は、正にいま、始まろうとしている。
「これ、予備分をあげる。お父さんに、はい」
真美が明夫に持たせたのは、両腕にすっぽりとおさまるサイズの人形だった。
「これって、まさか」
明夫は、おっかなびっくりの様子で、人形を抱きかかえた。
「そう、ベビー人形よ。私は保健師の資格を持っていてね、あちこちの両親学級で教えているの」
「もしかして、明日も?」
「ええ。すぐ近くの公民館で。あら、貴方も彼女さんと参加予定?」
「ええ、まあ」