聡は彼女のバックに入った『水色の封筒』を見る。
「知らない。どこかに置き忘れたんでしょ」
彼女は言い捨てると、荷物を持ってその場を離れた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、麻衣さん!」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで!」
聡は文句を言い続ける麻衣を追いかけた。
「せっかく、内容がおもしろかったら協力してあげようと思ったのに」
麻衣は早足でラウンジを通り過ぎる。
「え……どういうことですか? 何を協力してくれるんです?」
聡はわけがわからないといった様子で、彼女を追いかける。
「今更ですけど、麻衣さんって何のお仕事してるんでしたっけ?」
彼女はそっぽを向いて知らん顔をした。
「あら? 雨がやんだみたいね。よかった、これで今日の『外ロケ』が……おっと、いけない」
麻衣はわざとらしく口に手を当て、ラウンジを出た。
「んー? 今……『ロケ』って言いました?」
聡は慌てて彼女の後を追いかける。
「言いましたよね、ロケって! もしかして撮影のロケのことですか?」
麻衣は、いたずらをした子供のように笑いながら玄関へと向かった。
「あー、お腹空いた。今日の『ロケ弁』なんだろうな……おっとっと」
「ええっ! ロケ弁? お弁当って、まさか! 何の仕事してるんですか! てか、何でここに泊ってたんですか!」
「もう、うるさいなっ『ロケバス』に乗り遅れちゃうでしょ! おっと……言い過ぎちゃった」
彼女は足早に玄関のドアを開け、外へと出ていった。
「え、え、えーっ? どどっ、どういうバスなんですかっ、それは! 教えてくださいよ、麻衣さーん!」
聡は急いで玄関のドアを開けたが、彼女は大きなバスに乗り込み、出発してしまった。それと入れ替わるように、ホテルの入り口にタクシーが到着し、中から聡の両親が降りてきた。
二人に気づいた聡は慌てて駆け寄り、興奮した様子でこう言った。
「ちょっと、父さん聞いてよ! おもしろい話があるんだ!」
*
私が『息子』に聞いた話は《ここまで》だった。
この小さな出会いとご縁の物語をまとめたのは、この私――『橋田光彦』である。実際このとき『橋田寿賀男』改め、息子の聡は「新しい物語を書ける気がする」と舞い上がってラウンジに戻り、原稿を書き続けたようだが、どうにもこうにも『彼女』の存在が気になり、うまく集中できずに何も書けなかったようだ。
しかし《捨てる神あれば拾う神あり》とはよく言ったもので、早瀬麻衣という女性が持っていった『水色の封筒』には息子が間違って入れた脚本の原稿用紙が束になって入っており、彼女はそれに目を通してくれたそうだ。