わたしは離婚したと聞いて、思わずそう口にしてしまった。
「げ、原因は、あちらですよね」
わたしは取り繕うように続けた。
「いえ、わたしです」と主任さんはいった。
「あちらなんて、失礼しました」
わたしはさりげなく話題を変えた。
お正月は休んでいいです、と支配人にいわれた。年末から一週間休みをもらった。東京のマンションに戻った。娘は部員仲間でリゾート地でバイトしながら強化合宿をしているらしくていなかった。妻と、ふたりきりで一週間を過ごした。妻は、このままあのホテルでいいのか心配していた。
「けっこう楽しいんだ、あそこ」
わたしがそういうと、妻はぎこちなく笑った。
休みの一週間もあっという間に終わり、わたしは勤務するホテルの街へと帰って行った。
一月も終わり、二月になった。この街には、めったに雪は降らならないですね、と不知火主任はいっていた。そんな二月のある日、昼休みについにホテル内にある小さな喫茶店に入った。それまで入らなかったのは混んでいたからだった。カウンターで彼女とゆっくり話がしてみたかった。言葉を交わしたのは初日に支配人に案内されて挨拶したときだけだった。しかも朝早くからひとりでやっているせいか、わたしとおなじ午後三時には閉めていたので入るチャンスがなかった。その日は誰もいなかった。街でなにかあったのかと思ったが、そんな様子はなかった。わたしは着替えていたので、表通りから入った。
「あら」
彼女はまずそういった。
「こんにちは」とわたしはいった。
「いらっしゃい。お待ちしてました」と彼女はいって笑顔を向けた。
わたしはカウンター席に座った。
「なにになさいます?」と彼女は水をカウンターに置いた。
「それじゃあ、ランチで」
「はい」
彼女は手際よく、ランチをつくり始めた。
「楽しそうですね」と彼女がいった。
「えっ?」
「お仕事」
「ああ、そう見えます?」
「そう見えます」と彼女はいって、少し笑った。木琴の高音部を鳴らしたような愛らしい笑い声だった。
「楽しいですよ、とっても。毎日のようにあなたを眺めてられる」
「まあ、お上手なんですね」
「セクハラですかね、すいません」
「とんでもない」
彼女は、びっくりするほどのはやさでランチをつくりあげて、差し出した。
「いただきます」
「ごゆっくり」
ごはんに、味噌汁に、漬け物に、ミックスフライに、サラダに、コーヒーがついていた。食べた。なんというか、これほどお互いに作用しあっているランチを初めて食べた。ひとつひとつが、あるべき味でそこにあって、特別な味わいとなっていた。なんとなく、このホテルのようだと思った。誰ひとりとして欠けていては生み出せない、気持ちのよいハーモニーのそれのようだと。
「とっても美味しいです」
わたしは心からそういった。
「よかったです」
彼女は満面の笑みでそう答えた。
わたしはこの温かさで食べてしまいたくて、それからは無言で食べた。なにか食べ物を味わって食べたのはずいぶんと久しぶりのような気がした。
「ごちそうさまでした」
「コーヒー、おかわりどうですか?」
「じゃ、いただぎす」
彼女はサイフォンから、コーヒーを注ぐ。
「制服、とてもよく似合ってます」と彼女はいった。
「ああ、どうも」
「おニューですよね」
「そうみたいですね」
「父も、それを着ていました」
「えっ?」