そう叫びながら、取手に捕まって徐々に近づいてくる。
この宿に泊まっている人だろうか。
ゆっくりした動作で、階段を降りると、息も絶え絶えに、ふぅ、と声を立て湯に浸かる。
男はその一連の光景を、目を丸くして眺めていた。
「よし、今日も勝った」
にひひ、とタオルを頭に載せて少年のような笑顔。
眠ったように、目を瞑る老人と男、湯に浸かる。
あたりが、静寂に包まれていく。
眼の裏に、さっきの勇姿が焼き付いている。
居心地の悪さも、次第に緩んで。
身じろぎ一つしない老人も、切り絵のひとつになってしまったかのように。
お湯の存在を、やっと肌で感じる。
「じゃあな、またよ」
老人は「パンっ」とタオルで背中をはたき、「うっ」と力を入れると、ゆっくり石階段を登っていった。
取り残された男の怒りも、どこかに溶けてしまったようだ。
温まった体で温泉の暖簾をくぐり出ると、目の前の売店が開いていた。
お店の中には、ほぼ眠っているような、これまたちゃんちゃんこを着た老婆が三人、座布団の上に座っている。
光の角度もちょうどよく、なぜか神々しい光景だった。
「コーヒー牛乳」
男が財布を出しながら話しかける。
「あい、コーヒー牛乳ね」
お金を入れたら動くオモチャのように、真ん中の老婆が取り合う。
「ほら、コーヒー牛乳だってよ」
真ん中の老婆が右の老婆に話しかける。
「え、何牛乳?」
「だから、コーヒー牛乳」
「あぁ、コーヒーの方ね」
右の老婆が横の棚からコーヒー牛乳を取り出す。
「100万円です」
左の老婆が、ゆっくりとした動きで右手を差し出す。
「100万円?」
男が戸惑っていると、老婆が三人急にスイッチが入ったように笑い出した。まるでどこかの怪鳥のような声だ。
「よし、わかった。お兄さんはかっこいいから百円にしてあげるよ」
左の老婆が笑いながら、言った。
「お兄さん、私らのこと、AKBだと思っているでしょ?」
「AKB?」
「呆れたばばぁ48」
そう言い切ると、少し間をおいて三人が咳を切ったように笑い出す。
「やめて、入れ歯が出ちまうよ」
「違うだろう。出るのは魂だろ」
ヒィヒィ言いながら三人があまりにも悪びれた様子もなく笑うから、わけもわからず男も笑ってしまった。
「お、兄さん笑ったね」
「このネタはいけるね」
老婆が正面も向きながら、少し真顔になって話す。
受け取ったコーヒー牛乳を飲む。
ほんのり甘く涼しい風が吹いた。
なんだ、これは。
朝ごはんの会場では、また、昨日の男が質問漬けになっていた。