上映時間? ってなんだろうと思いつつ映は、そこに足を踏み入れた。足音も吸収してしまうような紺色の絨毯が敷かれて、眼の前にはちいさなスクリーンが、広がっていた。飲み物はスパークリングのグラスワインにした。
観客のひとたちは、みんなひとりひとりでこの場所に訪れたようなそんな雰囲気の人たちみたいだった。いちばん後ろの席からそこにいる人たちの横顔をみていたら、あのお店の店員さんによく似た人がいた。お花屋さんのオーナーの方だった。
映の視線を背中に感じたのか振り返ると、「あぁ」って笑顔をこちらに向けてくれて軽く会釈した。しばらくすると、フロアに銅鑼のような音が鳴って、映画が始まった。
『遠い声、静かな暮らし』という1950年頃の作品らしかった。
どこかの家族の部屋の階段だけが映っているなかで、そのどこか遠くで家族たちが朝の時間をあわただしく、準備に追われているような声がする。
だれひとり姿はみえないのに。
声が聞こえるから、いつかその声の主がスクリーンに現れるんじゃないかと待っているのに、なんどもかわされてしまう。
観ているうちに、映はこの部屋のどこかにじぶんが暮らしていたようなそんな気持ちになってきて。小さな頃を思い出していた。父親の度を過ぎた教育方針から逃げるように、映は祖父と暮らすことになった。ちいさな家のちいさな幸せがそこにあって、おじいちゃんただいまって言える日々が好きだった。そんな日々のことを。
歌詞に似た文字のつらなりが字幕に映し出される。
雨粒と流した涙と。無駄に流した涙ってことばがただ並んでいた。
たったこれだけなのに、とてつもなく琴線に触れた。
うまく思い出せないのに、おなじ涙を経験したような。
そんな既視感に包まれながら、映はからっぽの時間になにかが、そっと注がれたような気がしていた。
上映が終わると、支配人の人がスクリーンの側に立って終わりの言葉を話しだした。
「今日の映画は、靄町駅でお花屋さんとサイクルストアを営まれていた五十嵐葉子さんのリクエストにより上映させていただきました。いかがでしたでしょうか? どうぞおやすみまでの残りの時間は、お好きにお過ごしくださいませ」
映は、ここがどういう仕組みのホテルなのか今わかった気がした。
それと五十嵐さんっていう名前だったんだって初めて知って、彼女に話しかけにいった。
「こんばんは」
「あら、こんばんは。あなたってもしかして。おじい様のお命日の日にいらした方よね」
絶対、仏花みたいなのは供えてくれるなっていう祖父の言いつけだったから。49日を過ぎた月命日の頃、何を飾ればいいのかわからずに、悩んだ後に、五十嵐さんのお花屋さんで相談したのだった。そこで紹介されたのがパイナップルリリーだった。
「この間、これでおしまいになるんだな、この店も。って思っている時にね、パイナップルリリーとあなたのこと思いだしてたのよ。だからここで会えるなんて、うそみたい」
「そうだったんですか。わたしもびっくりしてます。っていうかどうしてわたしがここにいるのか? っていう感じなんです。今の状況に混乱しつつも楽しんでます。さっきの映画すてきでした。少しだけ祖父のこと思いだしていました」
そんな話をしていたら、隣の男の人が話しかけてきた。