「そうなんですか」
「うん。離婚したいって思ってね、まだできてないんだけど、子供が2人いるから成人するまではって。離婚したいって思ってるのは私だけってのもあるけど」
「え、そうなんですか」
「うん。でも、なんだか大事に思えなくなっちゃってね、旦那さんなのにおかしいよね。それで逃げるようにここで」
逃げるようににしちゃあハードじゃないかと思う。
「結局私がやりたいなって思ってるのって、ごはんと音楽で」
「ごはんと音楽? ですか」
「そう。あのね、私地方から出てきてるんだけど、実家がホテルやってて」
へぇ、それはここに合ってそうと思う。私が納得しているのを見てかアシダさんが続ける。
「たぶん想像してるようなホテルじゃなくて、旅館でもなくて、ラブホなんだよね」
え、と思わず声がでる。
「え、ってなるよね。はは。でもね、大人になるにつれて、ここって無いと駄目な場所なんだなって、ちゃんと役割があるんだなって、もちろん責任もあるけど。それで、私はホテルはホテルだけど、またちょっと違う役割のあるところを作ろうかなと」
「へぇ。たしかに。え! このホテルアシダさんのなんですか?」
私が言うとまさかまさか、と手を振る。
「こんな大きい経営できるわけないよー。でもずっとホテルで働いてばっかりだから人が足りない時とかはベッドメイキングとか清掃の仕事とかしたりするよ。まぁほとんどこのカフェだけど」
「へぇ、すごいなぁ。私なんて自分で何かこうしよう、みたいのあんまりないんですよね」
「え、そうなの? じゃあ興味あることは? 音楽とかごはんとか」
「音楽ですか…前はよく聞いてたけど、社会人になるとガクッと聞く頻度減るのあれなんなんですかね、最近のは知らないし、でも好きですよ。ごはんは、おいしいものが食べたい」
私が言うと、そりゃそうだわ、とアシダさんが笑って続ける。
「うちのカフェはね、都内の農家さんからの仕入れなの。東京って実は広くて、畑もあるし養蜂もできるし。農家さんから旬のもの仕入れて、季節ごとのメニューにしてるの。コーヒーもバイシクルコーヒーって言ってフェアトレードの豆を自転車で配達する環境に優しいのにしてるし。おいしいよ」
「へぇー知らなかった。そんなのあるんですね」
「うん。夜寝る前においでよ。バー片付けたあとで一緒に飲もう。淹れる時にお湯を注いでふわっと大きく膨らむ、良い豆なのよ」
知らないことばかりの話題に、私はへぇーと返す。
「あと、もしよかったら、もうすぐシンガーソングライターの男の子来るから紹介させて」
「え、シンガーソングライター? 誰ですか?」
「あ、期待しないで、テレビに出てる有名人とかじゃないの。でも、もしかしたらその人たちよりも声もギターもすごいと思うよ。週末はここでライブするのが定番なの」
へぇー、とまた返事をする。
「ここのホテルの名前、リバーヴトウキョウって言うでしょ?」
「そうですね、リバーヴってよく分からないんですけど」
「簡単に言ったら残響かな? お風呂場とかで音がぼわーんてなって広がってまた戻ってくるみたいな」
あー、と私は頷く。
「生きてたら色々あるけど、ほっとできる瞬間とか誰かとの楽しい時間とかそういうのが残ってずっと感じられる空間になるようにって、ホテルの名前なんだよね。で、私はここで音楽とか美味しいって余韻を部屋に持ち帰ってもらいたいなって」
「わー、すごいいいですね、それ」
「でしょ? それにシンガーソングライターは毎週いろんな男の子来るから、七菜香ちゃんはいつか誰かと付き合っちゃったりして」
「えー、ないですないです。私絶対年上だし」
「そんなに関係ないよ年は」
「ありますよー。っていうかアシダさんが何かありそうじゃないですかー」