今朝の梨沙の服装はアリって言って出てきたけど、あれはやっぱりナシだよなぁ、と思いながらキャリーバッグを部屋の隅に置く。さて、どうしよう、と思いながらとりあえず下のカフェでお茶でもしようか、と思い立って部屋を出る。
カフェに下りると何人かが並んでいて、入り口のほうにも入ろうかどうしようか迷っている人がいた。螺旋階段を下り切ったところでさっきのカウンターの女性と目が合う。ワンオペなのか笑顔だが焦っているのがだだ漏れて分かる。
だめだこれは他を探そうと店の外へ出ようとすると、女性が、誰か手伝って―と冗談っぽく言った。お客さんたちは、小さく今日も大変そうと言いながら笑っていたけれど、なんとなく急に手伝ってもいいかな、と思って、女性の後ろに回った。
女性はびっくりしたような顔をしながらも、いいの? と小声で言い、私は、いいです暇なんで、とちょっと緊張して答えた。お願いしますアシダです、と女性が言うので、私は、七菜香ですと答えた。あ、苗字、と思ったけれど忙しそうだからまぁいいか、と服の袖をまくった。
いいです、とは言ったものの、できることは限られているので、何も知らないけどなんとなくはこれまでのバイト経験で出来ることを探して、溜まっていた洗い物をして、テーブルを拭き、お手拭きや箸を補充し、来るお客さんをテーブルに案内し注文をメモ書きする作業を人の波が引くまで続けた。
「申し訳ない、ごめんなさいほんとに、余計なこと言ってそれ拾ってほんとに手伝ってくれるなんてありがとう!」
夕方4時過ぎに客足が引くと、アシダさんはそう言って、バータイムまでお休み!と、店の看板を一瞬だけのクローズドに変えた。
「いえ、なんかほんとに学生バイトみたいなことしかできなくて」
私は、グァバジュースを飲みながらカウンターの席に座り、夜に出すのだろうチーズをカットするアシダさんを見る。カクテルなどの瓶の量をいくつかチェックして、気づけばアシダさんも丸椅子に腰かけ、私と向かい合っていた。
「旅行か何か?」
私は首を横に振った。ちょっと一緒に働いただけなのになんだか昔から知っている友人のような気になって来る。それはアシダさんの人懐っこいキャラと、ホテルで見た部屋のシンプルな潔さとこのカフェの安心感がそうさせるのかもしれなかった。
「親に家を追い出されちゃって」
「え!?」
大丈夫なの? なにしたの? とアシダさんが聞きたそうな顔になった。
「何もしてないですよ、悪いことは! 親不孝かもって思うところは、まぁ、もう30も半ばなのに彼氏もいなくて結婚もしてなくて仕事も派遣で家事も親にまかせっきりってことですかねぇ」
口にするとなんだかほんとに悪い生き方をしているような気がしてきた。
「そっかぁ。いい男がいないんだね」
アシダさんの解釈にちょっとびっくりして、え? と返した。
「だってそうじゃない? ちゃんと毎日会社行って働いて、家族ともこれまで一緒に住めるくらい仲良くしてきて、今日みたいに急に知らない人の店ちゃんと手伝ったりできる女性なのに。男は見る目がないわけでしょう? 働ける、家族を大事にできる、人に優しくできる、それで十分なのにね」
本心でそう言っているのが分かるアシダさんを見ると、もっとしゃべってみたくなる。
「あー優しい。でも正直分からないんですよね、自分がほんとに結婚したいのかとか彼氏が欲しいのかとか。恋愛はしたいなって思ってはいるんですけど」
「まぁ、恋のはじまりはいつも突然だから」
「お姉さんって感じ!」
「私40歳だもん5歳しか変わらないよー。でもこの5年が結構濃かったよぉー」
アシダさんはグラスに入れたミネラルウォーターを飲んで一瞬天井を見た。