木村君はエントランスとフロントデスクの間を、客を案内し何回か往復していた。その度に女性を一瞥した。女性は、ソファーに座り、時々伸びをするように辺りを見回すしぐさを遠慮がちに繰り返していた。私は、企画書の構成を最終的にどれにするか三つの候補からしぼり込めないでいた。
女性が繰り返す小さな吐息の間隔が気になっていた。女性は知り合いを待つ間に、皺と目のたるみが目立ちすっかり老けてしまっていた。
フロントデスクの壁に掛かる時計は午後四時半を少し過ぎていた。
客人をフロントデスクまで案内し、エントランスに戻る際、木村君が急ぎ足で女性に駆け寄った。低く声量をおとして尋ねた。
「ご友人、まだお見えになりませんか」
「ええ」
女性の硬く心配そうな表情は木村君の声で緩んだ。
「ご心配ですね」
女性が深く頷き、話しだしたそうな表情だったが言葉を飲み込んで黙っていた。木村君が尋ねてその間を埋めた。
「お待ち合わせは、こちらのホテルでお間違いございませんでしょうか」
「ええ。それは間違いないんです。今までも良く利用させて頂いてたから……」
女性は即答したが語尾は、はっきりしなかった。
「電話番号どこかに書いておくべきだったわ」
自分に言い聞かせるように言い、口角を上げて作った笑顔はすぐに消えた。女性は再びロビーの人の流れに目を配っていた。そして木村君に呟くように言った。
「それがね。だんだん、約束は明日だったかな、って心配になってきたの」
最後は消え入りそうな声だった。
私は仕事の手を完全に止め、会話している二人に視線を向けた。
木村君の肩が下がり表情がゆっくり解けた。背を丸めて座っている女性が小さく見える。
「それでしたら、ご友人様のことご心配なさらなくとも大丈夫かもしれませんね」
木村君は明るい表情で言った。女性は自分を納得させるように頷いた。読んでいた雑誌をバッグに入れゆっくり立ち上がろうとしたが、何か思いついたようで再びソファーに腰を沈めた。木村君を見上げる。
「もう少しここにいていいかしら」
「もちろんです」
エントランスに向かう木村君の背中を見届け、女性は雑誌をバッグから取り出した。
ロビーに座ったのは午後二時頃だったから、既に二時間半以上は経過したことになる。
私は立ち上がり、忘れ物が無いか、周りを確認しロビーラウンジに向かった。仕事の締めは、コーヒーを飲むことにしていた。
女性の言葉を反芻した。約束は明日か。気をもんでいた私も安堵を覚えた。木村君も安心したに違いない。思わぬ結末に頬が緩んだが自分の身にも起こりうることだった。
予定を書き込んだ携帯やパソコンをどこかに置き忘れたり、故障で動かなくなったりしたらどうなるだろう。仕事なら同僚から情報を集め何とか乗り切れる。しかし、私的なことは記憶を頼りに行動するしかない。スケジュールは携帯やパソコンに記録していて、専らそれらに頼りきりだ。曜日や日にち、時間の記憶はあいまいだ。手元に携帯やパソコンがあるから事なきを得ている。
ラウンジは混雑していたが私が好んで座る席は空いていた。さっきまで私が座っていたソファーの向かいでロビーとエントランスを見渡せる位置だ。
スタッフにコーヒーを注文しパソコンを広げた。十数名の団体客をフロントデスクに誘導する木村君が見えた。ソファーの女性は変わらずあの場所にいたが、落ち着いた様子で雑誌を読むのに集中していた。顔を上げエントランスを窺うことは無かった。