影が動く。背筋を伸ばし、あたりを探るような姿勢を繰り返している。その頻度が多く、落ち着かない。ロビーの人の流れに目をやって企画書の構成を考えていると、いつの間にか木村君が女性の前で膝をついていた。キーを叩きながら二人の様子を時々窺う。
「何かお手伝いできること、ございますか?」
「いえ……」
女性は大きく目を見開いた。話しかけてきたのがベルマンと解り、小さく息を漏らした。そして少し間を置いて口を開いた。
「待ち合わせの友人が見えなくて……」
「それはご心配ですね」
木村君は女性の目線に合わせて応えた。女性が頬を緩めた。
「二時半だったの、待ち合わせの時間」
木村君が腕時計を確認する。
「そうですか。電車が遅れているか交通渋滞かもしれませんね。交通機関の遅れや道路の渋滞ならお調べすることもできますが」
「ご親切にありがとう。でも、大丈夫です。もうしばらく待ってみます」
木村君は、笑みを残してエントランスに戻った。その時私とも視線が合い微笑んだ。
女性は、待ち人が現れるのを待っていたのだった。何かの事情で遅れているのだろう。落ち着かない動作の理由を知って安堵した。手を付けた企画書の構成だけは仕上げて、ラウンジにゆき、報告書の要約を仕上げて帰社しよう。
ロビーは、お茶の時間とチェックインの客で再び混み始めた。時刻は三時二十分だった。
三時五十分になっても女性の友人は現れなかった。女性は、木村君を気にしてか、遠慮がちに膝の雑誌から顔を上げ視線だけでロビーとエントランスを探った。私はこれほど女性を待たせる相手の事が気になり始め、事の顛末を見届けたいと思った。
座っていた席にジャケットと傘を置き、ソファーから離れた場所で部下に電話を入れ至急に対応する案件が無いか確認した。
「何かあったら、メールをくれ。携帯でチェックしているから。戻るのは少し遅れる」と伝え席に戻った。
ホテルを訪れる人の流れは途切れず、上階の客室に消えていく人や、ホテルを後にする人が入り混じっていた。その流れのなかに、未だ女性の待ち人は現れなかった。
四時十分。木村君が女性に再び声をかけた。
「お見えになりませんね」
「ええ。どうしたのかしら」
心細そうに呟いた。
「お相手にご連絡することできますか」
「それがね。携帯電話、家に置いてきてしまったんです。こんな時に限って」
女性は微笑みを強張らせ視線を床に落とした。一呼吸あって木村君を向いて明るい声で言った。
「もうちょっとだけ待ってみます。ありがとう」
ほほ笑んで木村君に頭を下げた。目尻に深く皺が刻まれていた。木村君がエントランスに戻ったのを見届け、女性は大きく息を吐いた。視線を、閉じた雑誌の表紙に落とした。
女性の周りに座っていた人は、私以外全て入れ替わっていた。パソコンのディスプレイには企画書の構成が三パターンほど出来上がっていた。