ホテルは、宿泊客のチェックインと夕方からの催し物を訪ねる客で混雑してきた。スタッフは忙しそうに客の対応に追われていた。私はディスプレイに集中し報告書の要約部分を作成していた。時々ロビーに座る女性に視線を送ったが、待ち人を探すような素振りは見せず、雑誌に目を落していた。彼女にとってもここのロビーが心落ち着く場所で、人の流れに安らぎを感じる私と同類の人物なのかもしれない。
報告書全体の推敲を終え完成させた。随分と時間をかけてしまったが要約と詳細がバランス良く書き上がったと満足した。フロントデスクの壁の時計が午後五時十分を指していた。カップに残る冷えたコーヒーを飲み干し、立ち上がろうとした時だった。
雑踏に紛れてはっきりと聞こえなかったが、明るい張りのある女性の声が響いた。その影がソファーに座る女性に駆け寄って行った。女性は立ち上がり、満面の笑みを浮かべた。駆け寄った女性の腕に手を添え、しばらく笑いながら話をしていた。そして、二人の女性が談笑しながらラウンジに向かって来る。離れた位置から木村君も二人の様子を確認したようだった。
女性二人は、私の隣の席に案内されて座った。私は、立ち去るきっかけを失い二人の会話に耳をすませていた。
「こんなことってあるのね」
「ほんとに」
興奮が未だ冷めない様子で二人の声は高いままだった。
「用事があって近くに来たんだけど、何故か足が向いたのよ」
先ほど現れた女性が堪えきれずに笑った。
「何か寄って行ったほうが良いよって。誰かが私に言うのよ。寄って行けって。どうしようかなって……」
口を手で被い笑いながら話す。笑いで途切れて会話が続かない。
「約束、明日だったでしょ。だけど何か落ち着かない感じで。電話しても繋がらないし。何故かあなたに待たれている気がしたのよ」
ロビーに居た女性は携帯を家に忘れてきたことや、ずいぶんとここで待ったと笑いながら話していた。
「そしたら、あなたがちんまり座ってるじゃない」
二人は涙を流して笑っていた。店員がグラスに氷の音を響かせ、二人の席に水を運んできた。
「ご注文お決まりでしょうか」
女性二人は、「あなたからどうぞ」と互いに譲り合い、また笑った。そして、二人とも注文を待つ店員に申しわけなさそうな顔をした。それでも目線でお互いに譲り合っている。少し間が空いた。
「カフェオーレを」
二人は同じ呼吸で言葉を発した。そして弾けたように笑った。店員も笑みをこぼし「かしこまりました」と去って行った。
私の前のグラスは氷がすっかり解けていた。水を口に含み、緩みそうになる口を冷やした。
立ち上がりロビーを後にした。二人の賑やかな話声が心地よく響いていた。
エントランスで客の荷物を扱っている木村君と目が合った。笑顔につられ私も微笑んだ。