怒っている斎藤さんでさえも、そのことに困惑しているようだった。
「伊藤さん、ありゃダメだ。真剣にきいてくれるのは良いけど、あの人だって悪気があってミスしてる訳じゃないんだから、もう少し堂々としていたらいいのに。男だったら謝るばかりじゃなくて、多少の主張がなきゃダメだよ」
斎藤さんが、僕にこう漏らしたのは、たしか田中が伊藤さんのことをロボットだと言った翌週だった。僕は曖昧に笑って返した。
伊藤さんは週五くらいの頻度でシフトに入っていたから、僕が出勤する度に顔を合わせた。伊藤さんは洗い場か貝の担当になることが多かったから、魚担当になることが多い僕とはあまり一緒になることはなかった。それでも同じ職場である以上、休憩室では長い時間一緒になることがあった。コンビニや自動販売機に飲み物を買いにいっても休憩時間は余るし、だからといって外で休憩するには寒すぎた。憂鬱な思いで、金属の階段をカンカン鳴らしながら休憩室に戻ると、伊藤さんはいつも、何か資料を見ていた。ホッチキスで左上の一か所を留められた資料をじっくりと読んでいた。文字ばかりの資料を読んでいる時もあれば、図形が描かれた資料を読んでいる時もあった。資料の内容からすると、きっと伊藤さんは建築士だったんだろうなとわかった。
最初は、熱心だな、かっこいいなとか思っていたけど、だんだん鬱陶しくなってきた。黙って一人で資料を読んでいるのが鬱陶しくて仕方なくなった。娘の旦那さんの話をいつまでもしている斎藤さんの方が、まだよかった。
伊藤さんは、僕たちが飲み会の話やカラオケの話をしている時も、ただ黙って静かに資料を見続けた。飯塚はもともと静かなほうだけど、伊藤さんが休憩室にいる時は、本当に静かになってしまう。「うん」とか「ああ」とか、元気のない返事ばかりして、会話が弾まなくなった。田中はいつも通りの調子で昨日あったことや、今後の予定について楽しそうに話すけど、僕らの突っ込みがないと、やがてつまらなさそうに黙ってしまう。
休憩室で楽しく話せなくなった分、僕たちは外で集まることが多くなった。僕ら三人と適当に都合の合うバイト仲間を誘って、カラオケに行ったり、飲んだり。それぞれ学校が違う僕たちの共通点はバイトだけだったから、バイト中に楽しめないとなると、外で楽しむしかなかった。
僕たちがこれまでのようにバイト先ではしゃがなくなってからも、伊藤さんはこれまで通りの伊藤さんだった。飯塚は貝の担当になることが多く、伊藤さんと二人で作業することも多かった。だから、大変そうだった。年下なのに飯塚の方が作業が早く、どうしたって飯塚が指示を出さなくてはいけなくなる。出来るだけ柔らかく指示を出しているのに、伊藤さんは、まるで怒られているかのように真剣な顔で「はい」と返事をする。飯塚は本当にやりにくそうだった。さらに、斎藤がそこに追い打ちをかけた。伊藤さんがミスをする度に、飯塚を注意するようになったのだ。「飯塚君が指示を出してあげなきゃ。ちゃんと教えてあげてるの?」と。
寒いからマフラーに顔をうずめて出勤してくるのだろうと思っていたけど、春になっても、伊藤さんが俯き加減で出勤してくるのは変わらなかった。「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」というルール通りの挨拶も変わらなかった。
その頃、バイトを卒業する大学四年生や専門学生の送別会を開くことになった。「送別会」と名のついている以上、仲の良いメンバーだけでなく、全員に声を掛けるべきだなという雰囲気があった。毎年、店長は少しだけ顔を出して一万円を置いていってくれていたし、斎藤さんも一次会には参加していた。近藤さんは今年からだからどうかはわからないけど、たぶん一次会には参加するんじゃないかと思っていた。だから、とりあえずみんなに声を掛けた。
幹事になった飯塚が、チャットで告知して、出欠席の連絡をくれるようにとお知らせした。
翌日、バイト終わりに飯塚が僕に言った。