わたしの問いに相沢くんは清々しく答えた。
「え?ドアのぉ、前のぉ、階段のぉ、手すりです!」
「うん、それ、ドアの『外階段の』だよね?」
祈るような気持ちで返事を待つ。答えはやっぱり即答で返ってきた。
「いえ、『中の階段』です」
それは、入り口ドアを入った中にある客室に上がる為の階段だった。
(違ああああああああああああああああう!!!)
わたしは今にも発狂してしまいそうな気持を必死で抑え、まずは今一番悲惨な状況になっている場所を想像した。そう、階段の上で歩く度に鈴が鳴ってしまう為行くも戻るもできなくなっている『あけみ』の事だ。この建物は古くて、階段が凄く軋む。だから動くたびに鈴が鳴ってしまうのだ。泣いて叫んで走り出てたのに、こんな平和な音鳴らしちゃって、きっと今彼女は相当混乱しているに違いない。とにかくここは余計なお世話だろうが一刻も早く表に出てフォローしないと。彼らは今日初めてこのホテルに来たお客様だ。絶対にいい思い出を作ってあげたい。完璧な時間を作ってあげたい。わたしは頭をフル回転させて考えた。
するとその時、どこかから笑い声が聞こえた。その声は次第に大きくなる。
しばらくすると、泣きながら出ていったはずのあけみさんが、なぜか爆笑してレストランに戻ってきた。あの鈴の音に一番ウケていたのはあけみさん本人だった。あけみさんは席に座ったままの彼氏の前に戻るとごめんねと謝り、そのまま他のお客さんにもご迷惑をおかけしましたと頭を下げていた。それを見ながら、そういう事されると逆に気まずいよなあと思っていたら、誰かが「ナイスジングルベル」と言ってグラスを持ち上げ、それはさすがにいじり過ぎだろうと気をもむと、そこに居た全員が嬉しそうにグラスを掲げて「乾杯―!」と大合唱した。なんで?いつのまに彼らはあんなに親しくなったのだろう。いつ、どのタイミングでお互いを許したのだろう。謝ったとき?鈴を鳴らした時?目の前にある知らぬ間に出来た暖かい空気にわたしの胸は静かにざわめき、頭の中はすでにショート寸前だった。
夜もさらに更けて、レストランには招待のメンバーだけが残っていた。料理も全て出し終わり後はデザートだけだ。壁の演出、オーナーとしての完璧なホール裁きも、新規利用客への満足のいく思いで作りも、何一ついい所を見せる事ができなかった。でもまだ勝算はあった。この後、村さんにサプライズでバースデーケーキを用意していた。せめてここでちょっとでも挽回しようと思った。料理を作る必要はもう無いので、わたしがケーキをテーブルに運ぶ。相沢くんにはCDのスイッチをオンにするだけの役を命じた。電気の消灯は怖いので平田さんにお願いした。よし。わたしはケーキの乗ったワゴンの角を握りしめ相沢くんに頷き合図を送った。ピっというCDの音の後に、ハッピーバースデーの音楽が静かに鳴り……
「タータータタ、タータータタ、タータータータタター……」
その音を聞いて一瞬で血の気が引いたわたしは相沢くんの方を振り返る。相沢は目を見開いて首を激しく横に振る、とその時電気が一気に消え同時に音楽も消えた。何もかもが消えた闇の中で、インカムから小さな相沢くんの声が聞こえた。
「平田さん、たぶん館内全部のブレイカー落としてます」
「お前こそ、さっきの蛍の光流しただろう!」
真っ暗な空間で村さんたちの声が聞こえた。
「え、閉店?」