そう言って平田さんを見ると、平田さんは親指を立ててウィンクをした。純和風のがっちり体型の中年シェフだが、外国仕込みのジェスチャーがとてもきまっている。今夜のチェックインの予定も全て終了し、レストランには数組のお客さんが入っていたが、どの席も順調に食事が進んでいて少し安心した。
(よかった、ちょっと心配し過ぎだったかもな……)
相沢くんの緩さにも警戒が過ぎたかもしれない。人を雇う立場として、もっとちゃんと人を見れるようにならないとな、と思った。
「小松さん、そういえば入り口にこんな鈴あったんですけどー」
接客が落ち着いて手が空いた相沢くんが小さな鈴を摘みながら厨房に走り寄ってきた。鈴の紐の部分を摘んで走ってくるので、相沢くんが動く度にシャンシャンシャンと音が鳴って食事中のお客様の目が一瞬で相沢くんに集まった。
「相沢くん!音!鈴の玉の部分握って、音が出るから」
わたしはできる限り笑顔で、声を殺して言いながら、少し前に上げた相沢信用レベルを5から2へ引き下げた。
「これは入り口ドアの前の、階段の手すりに付けてきてくれる?ちょっとした思い出の品でね、今日のパーティ用につけようと思って出してたんだけどバタバタして忘れてたわ。夜になると光ってキレイだし、たまに風が吹いて音が微かに鳴るのがいいのよね」
わたしが思い出にうっとりしながら言うと、相沢くんはそれには特に興味なさげでさっさと鈴を付けに行ってしまった。メインイベントはこれからなのに何だかもうどっと疲れが出ている気がした。
窓際にセットされたまだ誰も座っていないリザーブ席に目をやる。四人掛けを4つ組み合わせた長細いテーブルにはすでに美しくテーブルセットが完成している。ここにはこのホテルを作る際に協力してくれた人々を招待した。席は内装屋さんや大工さんと散々話し合って作ったこだわりの壁が一番よく見える場所に用意している。本当にこの建物には思い出がいっぱいなのだ。
その時「いらっしゃいませー」というやや間の抜けた相沢くんの声が聞こえた。招待したみんなが来るには少し早い、レストランのお客様かもしれないなとサービス用のスープに火を入れた。
「オーライ、オーライ、OK、この辺で大丈夫だと思います」
その声に驚き厨房からホールに目をやると、相沢くんが大きな四角い物を持つ青年たちをまるでガソリンスタンドの店員の様に誘導し、そしてそこで例の大きな四角い物の梱包を解かせているのが見えた。
「嘘、嘘、嘘でしょ?相沢くん、何やってるの……?」
思わず声に出しながら、大急ぎでエプロンを外しホールへ向かおうとした。が、
「小松っちゃん、パイ上がったよ!焦げるから早く出して!」
と、平田さんの鋭い声が飛んできてわたしは「はい!」と返事をし、スケートのスピンの様に素早くくるっと向きを変えて外したエプロンで熱々のパイをオーブンから出した。
(何で!相沢何やってんの???)
パイをお皿に盛り終え、ベルを鳴らし相沢を呼ぶ。
「これ、5番のテーブル。あと、さっきの何?あ、待って。料理が冷めるからこれ先に置いてきて。で、すぐ戻ってきて!」