またしても、迷いの一切ない清々しいまでの即答。でもできればもうちょっと不安そうにしてなんて、わたしがおかしいだろうか。いつもと違う黒いボーイの制服を着て喜ぶ相沢くんを横目に見ながら、わたしは逆に白のシェフ用の制服に腕を通した。ふと、平田さんの視線に気づく。
「小松っちゃん、大丈夫?」
平田さんはどこかを妥協して、なんて出来ないわたしの性格の一番の理解者かもしれない。だって料理も同じ。あっちが心配だからこっちを疎かにしていいという道はない。だから平田さんの大丈夫?には、厨房に対しての意味も含まれているのだろう。接客は何かあれば後からでもフォローに走れるが、料理は一分一秒が勝負だ。人員の配置はこれしかない。大丈夫、きっとこの判断は間違ってない。
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このホテルをやる事になった時わたしはまだ36歳で、周囲からの反対も結構あった。経験もないし、女だし。もともと父方のおじいちゃんがやっていた古い宿をおじいちゃんが亡くなった後、料理人をしていたわたしがやりたいと名乗り出て、まあ、それはそれで結構揉めたけれど、結局取り壊すにもお金がかかるし、街の人もおじいちゃんと親しかった事もあって理解して協力もしてくれて、何とかここまで来られた。本当に一人では何もできなかったと一つ一つ、何かができる度に実感した。あれも、これも、あの柱も。わたしが作ったものは何もない。いつも誰かに助けてもらって、教えてもらって、作ってもらった。だから一日でも早く恩返しがしたかった。恩返しをして早くわたしも『やった人』になりたかった。ずっと、今も……。
『ズズー』とノイズ音が聞こえたかと思うと、インカムから相沢くんの声が聞こえた。
「小松さん、女性二名こちらに接近中。すごい沢山紙袋を持たれてます……」
相沢くんからの情報からわたしはその姿を推測する。女性二人組、沢山の紙袋……。
「相沢くん、その方は303号室にお泊りのお客様よ。お買い物の帰りね。荷物が多いからドアを開けてあげて、部屋のカギを預かっているから到着したら渡して。それから夕飯はレストランでお食事をされるのか聞いて下さい」
わたしは、平田さんのアシスタントに入りながら、耳に掛けたインカムマイクで相沢くんにテキパキと指示を出す。なぜだか少し高揚感があった。厨房から入り口を覗くとやっぱり303号室のお客様がお帰りだった。(よかった、相沢くんうまくやってるみたい)ほっと胸をなでおろし、キッチンの作業に戻るとインカムから相沢くんの声が聞こえた。
「お食事、されるそうですー」
「了解、平田さん二名様お食事来られます」
「あいよ」
もしかしたらこれはチャンスかもしれないと思った。今日を完璧に乗り切れば、いよいよなれるのかもしれない。これまで応援してくれたみんながきっと楽しみに待ってくれている成長したわたしに。それを思うと体中にポジティブなホルモンがジュワっと広がった感じがた。
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「303号室のお客様、食事問題なくお楽しみですね」