と言った。フロントを背にした裕子の表情は陰になって見えず、それが六田と二宮には不気味に映った。
「ああ、いいけど」
二宮が少し引きつった声で答え、裕子に席を譲ろうと腰を上げたとたん、短いうめき声を発した。
「あいたたたっ」
二宮は右手で腰を押さえた。
「俺、腰痛持ちなんだ」
「大丈夫ですか?」
六田と裕子が声を揃えて言った。
「くそ、こんなときに」
二宮は吐き捨てるように言った。
「横になれば大丈夫だ」
「お部屋にお戻りになりますか?」
「ああ、うん」
六田が二宮の側に回ると、二宮はちょっと待てと軽く手で制した。
「話をしてもいいんだけど、部屋で二人っきりはな。親子ぐらい年が離れていても、男と女は……」
「そうですよね。私のことはお構いなく」
裕子はもう諦めたという顔をしていた。何度も何度もいろんなことを諦めてきたような顔だった。その表情に、二宮は同情を寄せた。六田は頭の中で必死になって考えた。
――部屋の中で話す、話す
「あ、もしよろしければ」
裕子と二宮の視線が六田に集中した。
「お部屋の内線電話はいかがでしょうか?」
二宮と裕子は顔を見合わせた。
六田は二宮を背負って部屋まで運び、ベッドに寝かせた。二宮の体は六田が想像していたよりも軽かった。
「なんだか悪いね」
「いえ、お安い御用です」
「ああ、ついでで悪いんだけど、有線をつけてくれるかな。波の音で。それで電気も消してくれるとありがたい」
「かしこまりました」
六田は二宮の希望通りにし、さらに電話機をベッド脇に移動させて、部屋を出た。
事務所に戻ると、六田はどこからか急にやる気が降って湧いてきて、猛然と事務処理を始めた。二時間集中して作業をして、深夜二時過ぎ、仕事の一区切りがついたところで、フロントに電話が入った。
「二宮だけど、あの娘さんの部屋と変わってあげられないかな」
「と言いますと?」
「この部屋は有線が聞けるだろ。波の音。今夜、彼女にはゆっくり寝てもらいたいんだ」
「そういうことですか。お待ちください」
六田は念のため、裕子の部屋に電話をいれた。裕子もそれを望んでいた。
「かしこまりました。お部屋の準備をしますので、少々お待ちください」
六田は二組のシーツと枕カバーを手に三階に上がり、両方の部屋でベッドメイクし直した。裕子は六田と二宮に何度も礼を言い、二宮も六田に礼を言った。
六田は事務所に戻ったが、もうやることはなかった。ぼんやり椅子に座っていると腰がうずき始め、仮眠室で横になると、知らずのうちに眠りに落ちた。
遠くから近づいてくるベルの音に、六田は跳ね起きた。朝の六時半。フロントのベルだった。鏡を見て、さっと髪を整え、フロントに出ると裕子がいた。
「昨晩はいろいろありがとうございました。おかげさまでぐっすり眠れました」
「それはよかったです」
「二宮さんと電話でお話しして、ずいぶん気持ちが楽になりました」
「それはよかったです」
「このホテルに泊まって、本当になんて言っていいか、大げさですが人生が変わったというか……」
六田は頷いた。
「私、決めたんです。これから、うん……」