「っていうことは、今日が二十歳の誕生日ですか?」
「一応、そうです」
「へえ! おめでとうございます」初対面で顔も見えない人の誕生日を私は祝う。生まれて初めての経験だ。
「まあ、実感はあんまりないんですけど。あはは」彼は壁を叩く。
「これからはお酒の飲み方も、学んでいかないとですね」
「必修科目ですね。でも俺には難しそうだなあ」
「大丈夫ですよ」私は言った。「あなたはもう、大人になったんですから」
何気なく口にしたその言葉で、彼の手は壁についたままピタリと止まった。
赤い光の明滅にあわせたノスタルジックな電子音が鳴って近くの踏切の遮断機が下り、山手線を轟音で電車が通過してまた上がるまでの曖昧な沈黙があって、彼は尋ねてきた。
「大人って、なんでしょうね」
さっきまでと変わらない心配事など欠片もないような陽気で朗らかな声。それなのに、どこか冷静で、虚栄のようなものがそこに宿っているような気がした。
そのことに一瞬だけ唖然としたが、笑い混じりの皮肉めいた口調で私は答えた。
「それ、まだお酒も飲めない私に訊きます?」
「あはは、それは申し訳ないです」
その後、不安だから家まで送りましょうか? という私の提案を断られ、飲み物代を支払うという彼の申し出を断ったが執拗に粘られたので、半ば逃げだすようにして彼とはそこで別れた。
──大人ってなんでしょうね。
一人で歩きながら、あの人の言葉の意味をぼんやり考えてみる。
高校を卒業したら。成人式が終わったら。あるいは働き始めて自分で生計をたてれるようになったら。だいたいそんなところだろう。そのどれにも当てはまらない私はまだ子供だ。
でも、じゃあ──と私は思う。あの人はなんで、あんなことを訊いたのだろう。
「……大人ってなんなのかな」
確かめるように呟いてみたが、あの人の心はやっぱり理解できなかった。
ある部屋の前で俺は足を止めた。大学キャンパス内にあるサークル棟の一室。扉には不格好な字で「映画研究会」と書かれたA四のコピー用紙が貼ってあり、中からは男女のくぐもった話し声が聞こえている。俺は扉を開けた。
「そろそろジブリがくるんじゃないかな。ちなみに先週は?」
「男勝りのFBI女性捜査官がミスコンに出るやつ。タイトルは……忘れちゃったけど」
「え、そんな昔のやつもやってんの? ……お、来たな実」
おお……。なんか、珍しくちゃんとしたサークル活動っぽいことをしてる。入る部屋を間違えたような気持ちで俺は道林の隣のパイプ椅子に腰を下ろした。
「のはらくんはなんやと思う?」ワークテーブル越しに足立が訊いて、
「今晩の金曜ロードショー当てゲームだってさ」、と道林が補足する。
さっきの感心を返してくれと俺は気色ばむ。部屋の隅に目をやると、三十二インチの薄型テレビがまるでオブジェのようにひっそりと埃をかぶっていた。