その道中、俺は限界を迎えた。ひと気の少ない路地に入ったことで気が緩んでしまったのか、胃に溜まっていたアルコールが喉元まで逆流してきて我慢もできずに体外に放出された。自然と涙と鼻水まででてきたので服の裾で拭うと、まるで自分にだけ地球の自転の影響が及んでいないかのように視界がぐるぐると回り始めた。とりあえず近くの電柱に手をついて息を整えようとする。
しばらくそうしていると、雨が降りだした。光り輝く雨でたちどころに全身は濡れそぼり、それでも動かないままでいるとまた気分が悪くなってきた。水が欲しい、言うが早いか俺は顔を空に向けて当たり前のように口を開いた。当然だが雀の涙ほどしか飲めない。
「あの、」
それはすぐ近くから聞こえてきた、戸惑いがちな女性の声だった。
周囲に人の気配を感じていなかった俺は内心かなり驚いたが、反応が情動に追いつかず口を閉じてゆっくりと声の方に顔を向けた。
「大丈夫ですか? なんか……色々と」
数歩先に立っていたのはやはり女性だった。傘に隠れて顔は見えないが、艶やかな黒髪が僅かに膨らんだ胸元まで伸びていた。桜のような淡いピンクの半袖パーカーとデニムのショートパンツに紺の長靴を履いた、ちょっとふらっと散歩に出てきただけのようなラフな格好の彼女を前に、素面だったら逃げ出していただろうなとどこか他人ごとのように思いながら俺は言った。
「あはは。水が欲しくて」
逡巡するようなすこしの間があって、控えめな声が聞こえてきた。「さっきコンビニで買ったフルーツミックスならありますよ」
そう言いながら彼女は傘と反対の手にぶら下げていた白いレジ袋を胸の高さまで上げた。お菓子の箱らしき角張りがあって下の方のナイロンが苦しそうに伸びている。
俺は何も考えずに固まっていると、彼女は肩と腕で器用に傘を支えながら空いた手で袋の中を探り、五百ミリリットルのペットボトルを一本取りだした。まだ開けてないんで、口つけても大丈夫ですからと差し出してくる。いくつかのフルーツとグラスのイラストが描かれたラベルを俺はぼんやりと眺め、誰かに操られているような心持ちでそれを受け取った。彼女に近づいたとき、風呂上りなのかシャンプーかリンスかのいい香りがした。
謝辞を述べて、パキパキ、という小気味好い音と手ごたえでキャップを回す。口をゆすいでは吐き出してを繰り返しているうちに、胃液の酸味が充満していた口内は甘ったるく、ペットボトルの中身はほとんどなくなった。おかげで吐き気は収まった。激しかったのはほんのわずかな時間だけだったようで雨は小降りになっていた。
「飲み会ですか?」
そう私は訊いてみた。これほどの酔っぱらいに果たしてまともな会話はできるのかという、単なる興味本位だった。危機管理不足は否めないけど。
「飲み会? …………ああ、そうですそうです。今日から飲酒解禁なもんで、つい飲みすぎちゃいました。あははっ」
たっぷり数秒をかけて質問の意味を理解し彼は答えて、近くの壁をぺちぺちと叩きながら笑っている。無意識の動作だろうか。そう考えるとちょっとおもしろい。