「あれから100年以上も経つのに、ごみの分別すら知らないって?自国で好きにやるのはまあいいです、けれど自分の意志で日本に働きに来たなら、こちらの文化を予習するなり、知ろうと努力を――」
「教育がないんよ。小学校にすら通わない子が多くいる。日本国内でのブラジル人による犯罪のほとんどは、経済的な問題で公的・私的な教育を受けれんかった青少年によるものよ。ポルトガル語でも知らないことを、どうやって日本語で理解できる?経営が難しくていらいらするのは分かる。越智君、ここ5~10年を凌げれば良いと思ったらいかん。250年くらいの目で物事を見つめなさい。大げさやなく、今の時代はそれが求められるんよ」
僕の唇はそれ以降なかなか開くことが出来なくて、食べ物と油と塩分が混ざった匂いを黙って嗅いでいた。彼等が地球の真裏の国で孤独なのは分かっていた。だが、僕にだって明屋敷店を生き残らせる使命がある。
僕はその夜、アパートの自室に帰ってすぐに布団に潜った。三十三年間生きてきて、初めて曾祖父の名前を心の中で呼んだ。何度も呼んだ。答えはなかった。僕の涙は、僕だって孤独なのだ、と怒りと理不尽さで苦かった。
※
「マネージャー、注意事項の表示にポルトガル語も増やしたんですか?」
開業当時からのパートスタッフである河合さんに呼び止められ、僕はホテルの裏庭にある自社菜園に行く足を止めた。ジャージに長靴、麦わら帽子姿なのが恥ずかしく、僕は手短に済ませるために「まあね」と答えた。
「ジョゼー君たち、『ゴミ屋がいるのに、なんで?』って、ごみの分別もひどい有様でしたものね。ただ、先週からビニールや爪楊枝はきちんと分けられるようになったんですよ。ポルトガル語を見ると安心するのかも。最近はよく目も合うようになってきて」
「そうか。リサイクルセンターの足立さんがそんなことを言っていた気がする。ビニールは合格だなって……」
僕は、ここ一ヵ月ポルトガル語の勉強のために徹夜していた目頭を押さえる。ゆっくり、気を抜けば見失うほどのペースで日常は変化していっている。小さな追い風に、雲がほんのわずか動くくらいに。
「じゃあ、ちょっと菜園をやってくるから……」
「あ!ケン君がマネージャーに話があるって――」
河合さんの言葉に何事かを問う前に、事務所の扉が開いて、僕は「あ」と口を開けた。ブラジル人就労者の一人であるケン君が、腕と頬から血を流し立っていたのだ。僕の足はすぐに床を蹴った。
「何があった!」
僕が駆け寄ると、ケン君はまず腕で自分の顔を隠した。
「私、日本語わからない!」
僕は正面から彼の腕に触れようとしていた右手を下ろした。ゆっくりと彼の斜め前に移動して、蹲ってしまったその背に触れる。僕に殴られるとでも思ったのか、ケン君は「日本語わからない!」と連呼した。
「ケン君」
「私、日本語わからない!読めない!」
「……え、エスタ・ベム。ケン君、エスタ・ベムだ」
救急箱を事務所から急いで取ってきてくれた河合さんが、僕を見て目を丸くする。僕は彼の隣に腰を下ろして、何度もポルトガル語で「大丈夫かい?」を意味する「Estar bem?」を繰り返した。