足立さんは、「ちょっとこっちに来んかいな」と僕を奥の倉庫へと案内した。JBリサイクルセンターでは一日に数トンもの食品ロスを受け入れており、その中で最も多いのが宿泊関連施設から出る「食べ残しである」と言う。
複雑な匂いのする工場内を歩き、足立さんは壁に貼ってあった一枚のポスターを指差した。
「『ブラジルの公立小学校設立への支援』……?なんですかこれは」
「越智君の曾祖父さんも、笠戸丸で出稼ぎに行った日本人移民やったね」
僕は頷く。別に否定したり沈黙するほど悲しい話でもない。勿論、わざと自慢したい話でもない。
「今じゃ『デカセギ』っていう言葉が両国で当たり前に使われるようになって、ブラジルは世界最大の日系人居住地になった。比例してブラジル人就労者が日本にどんどんと増えていくのも当然で、うちでも何人か雇っとるんよ。ほれで、国の違いっていうのは、想像以上に根強いんよなあ」
足立さんは、契約先から引き取った食品廃棄物を入れた大きなプレスチックケースの中に、おもむろに二本の指を突っ込んだ。僕がぎょっとすると、笑って手を抜く。指先に、白い何かが付いていた。
「“卵の殻”よ。リサイクル対象外(・・・)って案外多くてな。貝や肉の骨に、エビの殻、コーヒー豆、他にも細かく分けると色々とある。リサイクル後は肥料化や飼料化と目的はいくつかあるけど、地球の大地に戻すためには、人間が努力しないかんことがどうしてもあってなあ」
「分別を怠っている企業の食品廃棄物なんですか」
「この人らも努力はしとんよ。でも、日本人以外のスタッフが働く施設じゃ、分別の指導や教育をめちゃくちゃ頑張らんと異物混入をゼロにするには難しい。日本人上司から『やれ』と言われたからやるだけじゃ、ただの義務になる。だから、うちのリサイクルセンターは外国人就労者の祖国に期待という意味の“投資”をやるんよ。小学校設立への寄付はそれよ。それを目で見て分かってもらうために、ポスターをな」
「なんのために?」
ブラジルの公立小学校設立への支援をして、それが何の利益につながるのか?
そう問い掛けた僕に、足立さんは「君んとこのブラジル人就労者は、日本語のマニュアルが読める?」と、僕にラミネート加工がされた分別マニュアルを手渡した。
「はは。ホテルのマニュアルを全部覚えろというわけじゃないんです。ごみの分別くらい、さすがに」
「さすがに、なに?」
「卵の殻やコーヒー豆なんて全世界共通ですし、漢字やカタカナが読めなくても実物を目で確認すれば」
「紙も石も生モノも全部ごみやと思って育ってきた子が、そもそも『ごみの分別』という意識に抵抗を持つことは分かるかな?」
僕は胸がどきりとした。と、同時にざわざわとした。
曾祖父が奴隷同然に働かされたあの国。タバコもスプーンも生ごみの中に入っていて、祖母が言うには、曾祖父は長い年月をかけて根気よく現地の人に農業の基本を説いたという。曾祖父は米農家の長男だった。サンパウロのコーヒー園にたどり着いた738名の内、四分の一程度しか現地に残らなかったが、借金を増やしてでも曾祖父は働き続けた。
「うちの曾祖父さんの努力は何の意味もなかった、という話ですか」
「越智君」