ホテルバーツ明屋敷店が広島県の山のど真ん中に建てられたのは3年前で、慢性的な人手不足に陥ったのは2年前からだ。伝統工芸を目当てに観光に訪れる外国人観光客のインバウンド需要を見越して、試験的にシティホテルタイプの明屋敷店を人口わずか5000人の町にぶっこんだ。とはいえ、日本の伝統工芸に興味を持つような訪日客は、古民家をリフォームしたお洒落な宿や伝統的な旅館での滞在を望む。開業からわずか1年で、稼働率は20%を下回った。
本社から派遣されていた臨時社員が元の店舗に戻り、現在ホテルバーツ明屋敷店に残るのは僕を含めた社員2名、パートスタッフ4名、レストランスタッフ3名と清掃スタッフが15名のみだ。全客室を稼働させるなら、各セクションに倍の人員が必要となる。だが、本社との電話面談で告げられたのは、『そこをシティホテルだと思うな。工夫しろ』だった。
210室中40室しか稼働していないのだから、ここはシティホテルじゃないと言う。外装も内装もすべて都会仕立てで、僕が5年越しに夢を叶えた大舞台だったのに。
広大無辺な大海原に放り出されたような気持ちだった。しかも、大嵐の中をひとり航海している。行き先も、戻り方も、どこを見ても仲間もいない。
だが、僕にもプライドがあった。いや、残るのはプライドだけだった、と言うべきか。
「――プライドだけじゃ、あの巨像は支えられんでしょ」
足立さんだった。
JBリサイクルセンターの足立さんは、この山に囲まれた町の中で唯一当館の事を心配してくれている日系ブラジル人3世で、ブラジルの最高学府サンパウロ大学を出てこの町へ戻ってきた奇人だ。食品廃棄物をリサイクルする企業を一代で築き上げ、現在も社長を務めている。
「……巨像じゃありません。ホテルです。それで、うちの食品廃棄物の受け入れはいつから可能ですか」
「来月からでもええよ。一日10kg以下なら助成金は出んやろうけど、中間処理の乾燥機だけリースしてくれる?あとは全部まけとくから。あんた、ブラジル人就労者を雇ったんやろ。どんな心境の変化があったんや」
「コスト削減のために本社が雇えと寄越してきたんですよ……別に当館の格を下げるようなことはしません」
僕は、本来2年前から交わすはずだった契約書を軍手の手から受け取る。赤字経営の当館がエコに手を出すなんて皮肉じゃないか、と足立さんは笑う。
「あれだけ町集会でも、『潰れて廃墟になるくらいなら林間学校で利用させ。ほれか民宿くらい安せえ』言うても、頑固に孤立しとったのに。上の言いなりになるのも大変よな、マネージャーさんよ」
「僕よりも正解を知っている人達の指示です……僕は明屋敷店を守るためなら、今は何だって利用したい。僕一人では、今は目の前が真っ暗なんです。情けない話ですが」
「『正解』、ね。自社農園で自社生産肥料を使っています、っていう謳い文句が嘘だったことは認めるんよな?」
「嘘というか、農園はあるけど栽培までは手が回らなかったというか……」
足立さんは、ホテルバーツ明屋敷店がこの町では無用の長物でしかないことを分かっている顔をした。
「都会のお偉いさん方の考えは知らんが、広島の田舎で野菜の新鮮さが売りなんて謳っても起死回生どころか自滅の一途やぞ。越智君、今の時代、人はみんな孤独やねん。気持ちがないと、人は集まってこんぞ」