街を見下ろす海斗の目はとても力強いものだった。
「なぁ、翔太は大人になったら何になりたいんだ?」
「僕は……」
(まだ何も考えてないよ……)
翔太はそんな言葉を押し殺し、少しの間をおいて考えてから「父さんみたいに海外に行って働きたい」と返した。
「すげぇ、カッコいいな」
海斗が発した驚きの言葉。しかし、その言葉に一番驚いたのは翔太自身だった。雄太を誇りに思っていたことは間違いではない。しかし、父親のように海外で働きたいと考えたことは一度もなかったのである。そもそも、将来のことなど考えてもいなかった。
それがどうだろう。口を突いて出た言葉は……翔太は遥か遠く水平線に浮かぶ船を眺めた。世界には翔太の知らないことが数多く存在する。彼は心の深いところに強い好奇心や探究心といったものが眠っていたことに気付いた。
「海斗は? 何になりたいの?」
「俺は決まってるよ。もちろん漁師さ」
「僕、本当は魚じゃないものが食べたかったけど、今日の夕食が楽しみだよ」
「めっちゃ美味いからな! きっと驚くぜ」
「期待しておくよ」
漁港の上空では、ウミネコ達が優雅に舞う姿が見えた。
僅かな時間であったが、翔太にとって海斗との出会いは非常に貴重で大きなものだった。
翔太はホテルの前まで送ってくれた海斗と固い握手を交わした。
「また来いよな」
「うん。いつか海斗も遊びに来てね」
「ああ」
「じゃあ、行くな」
「うん」
海斗は自転車に跨ると、翔太の方を振り返ることなくその場を去った。
翔太はその姿が見えなくなるまで見送った。決して寂しくないわけはなかった。しかし、翔太はそれ以上に遥か遠くの街に暮らす新しい友との出会いが嬉しくて仕方なかった。
レストランには何とも言えない食欲をそそる匂いが漂っていた。タクシーの運転手が言っていたように、岩牡蠣やホタテなどの炉端焼きや鯛や蛸の造りがたくさん並んでいる。
「美味すぎる」と雄太はビール片手に赤ら顔でご満悦である。「やっぱりね」と呆れた口調の翔子であったが、その表情はとても嬉しそうだった。
「翔太はどう? 美味しい?」
「うん、全部うまい!」
その言葉に一切の偽りはなく、翔太は普段は食べないような食材も全てペロリと平らげた。
「海斗君のお父さんが獲った魚だから格別だな」
翔太は漁船に乗った漁師達が命をかけて海で漁をする様子を想像した。そして、その想像は発展途上国で農業の指導をする雄太の姿へと移ろいだ。
当たり前のように口に入る食品の全てには、見えない誰かの労力が伴っていることを実感したのである。
「父さん、飲み過ぎないようにね」
「これくらい大丈夫だ」
「体壊さないようにね。父さんのことを必要としてくれている人が大勢いるんだからね」
雄太は翔子と顔を見合わせた。クスッと翔子が笑う。雄太は照れ臭そうな顔をした。
「いつもお疲れ様。また帰ってきたら旅行連れてってね」
思いがけない翔太の言葉に雄太は「ちょっと、トイレ」とおしぼり片手に立ち上がった。
翔太は帰りの電車の窓から海を眺めていた。
ゆっくりと動く車窓の景色は、白い砂浜から漁船の並ぶ漁港の景色に移り変わる。
「海斗……」