彼も、私がここにいることを知らずに訪問したようで驚いた表情を見せた。
「岡田さん? ああやっぱり岡田さんですね。僕はあなたがどこかでいつも私を呼んでいるような気がしていましたよ」
「あの、私、あなたを呼んだことは一度もありませんけど」
「いやいや別にいいんです、気にしないでください」
「もう会社は辞めたんですけど」
「いえいえ、いいんです。そんなこと……。早速ですが仕事の話を始めさせて頂いてもよろしいでしょうか……」
「どうぞ」
私の頭上が何だか騒がしい。上目遣いでそっと見上げると、あのとき引きちぎったはずの金色の糸が、また私の頭上に出現して漂い始めていた。この人との縁は振り払ったはずなのに。あのときで終わりにしたはずなのに。これは私の力では振り切ることは出来ない出会いなのかもしれない……。苦労の果てに、若くして人生の達観に達してしまったような、年寄りじみた悟りの感情が私の中に生まれてきた。
彼はそんな私の気持ちをよそに、自らの企画の話を一生懸命に続けていた。彼の言いたいことは大体、次のような内容だった。
ホテルと連携した婚活サポートヘルプデスク、つまり私たち専門スタッフが常駐し、各人の個性に合わせて行う婚活サポート事業。少なくとも、どこに婚活中の異性がいるのかわからない状態よりも、周りにたくさん自分と同じ要求を持つ異性がいる環境の方が可能性がぐんと高まる。また、田舎の青年の団体様が期間を決めて宿泊されていくのもありかと思っています。ある地方の婚活団体様と違う地方の婚活団体様の同時期宿泊をサポートしていく仕掛けもあり得ます。つまり、あなた様のホテルと提携して、独身男女の出会いに特化したスペースを作りたいのです。初対面の方々がお互いに打ち解けるように、様々なイベントを盛りだくさんにしてですね。現在、地方の市町村では人口の流出、嫁ぐ女性の不足が本当に深刻になっているのをご存知ですか……。
顔を真っ赤にして必死で営業トークを進める彼を見ているうちに不思議になってきた。なぜこの人はここまで他人の婚活に命をかけるのだろう? 自分の婚活の方が余程、大事ではないか。底抜けのお人好しなのか仕事熱心なのか。
彼は容赦なく続けていた。熱意が周囲にほとばしっていた。
「ただ残業で帰宅が遅くなったサラリーマン男性がそっと立ち寄り、そこで将来結ばれるかもしれない相手がたくさんいる場所で眠る――そんな場所でもいいではないですか。何しろ仕事が忙しいとか、女性がいない職種で出会いが無いことを訴える男性は多くいる。食事だけでも、もし妻がいたらこういう夕食を作ってくれるのではないか、という家庭的な厨房設備を準備します。希望者には、これから出会うかもしれない独身男性に手作りの自慢料理を作ってもらってもよいです。そこから見知らぬ男女の語りあう発端が生まれてもよいと思っています。そこに集う男女がお互い結婚相手を探しているというだけで、出会いの確率は一気に高まるはずではありませんか」
よく喋る人。顔を輝かせて語るその姿に、私はいつしか惹かれるものを感じ始めていた。この人なら本当にそんなこと実現するかもしれないなあ。
彼の話が進むうちにそれに呼応するかのように、空の上の遠いところで男女を結び付けようと待機している金色の糸が何百本も溢れ出すのが、心の中に見えた。それは彼の言葉に反応するように、一本、また一本と生まれていく。
「なかなか面白い企画だと思いますよ。とにかく上の者と相談してみますから」
「有難うございます!」
私は気づいた。空から金の糸の先端が私の左手の小指に目掛けて舞い降りてきたのを。