また自由になった私は、さてこれからどうしようと考えて、今度は何も無いことに気が付いて慄然とした。途方に暮れて悲しい気持ちで、とぼとぼ街を歩いていると、頭上には私にご縁が無い様々な色の糸たちが凄いスピードで飛んでいった。私の髪が逆立ったくらいの風圧を残して。あなたたち、行くところがあっていいな。
ふと顔を上げると、そこに他の場所よりも大量の糸が飛び込んでいく建物があった。有名ホテルチェーンの一店舗だった。この頃になると私は自分の能力を意志の力でかなりコントロール出来るようになり、男女の赤い糸以外にも、仕事でつながっているご縁らしいオレンジの糸、親友同士のパープルの糸などもわずかに判別できるようになってきていた。そのオレンジの糸が集中している場所。それが目の前のホテルだった。
なるほど、ホテルか。ここなら出会いの糸が集中しても不思議は無い場所だ。もしかすると私の才能の使い出もあるかも? 自分の頭上を見ると、私の仕事のご縁を示すオレンジの糸が、この建物のフロントの方に向かって消えそうなくらいだが伸びている。
まだ関係が未成熟なものは淡い色で半透明、それが確固たるものに発展するにつれてはっきり強いオレンジ色になっていくようだ。
やはり私は一発で就職に成功した。縁があるというのは、こういうものである。勿論、フロントで見習いからのスタートだったが、私の糸は日に日に濃いオレンジへと変わっていった。
名前は伏せるが、ある大物政治家がチェックインしたとき、その背後につながる糸の巨大な太さに圧倒された。それは糸なんてものじゃない、直径は1メートルくらいあった。凄いなあ。あれでよく歩けるなあ。私はホテルに来て、またひとつ世の中の仕組みを目撃したようだった。
それにしてもホテルに集う糸の群れの量というものは想像を絶している。ロビーから溢れ出た大量の糸は、そのまま吹き抜けを飛び上がり、屋上も突き抜けて束になって上空へ、そして日本各地から世界まで伸びていっているようだった。私は気絶しないように注意しながら勤務した。
私はこのままホテルのフロントにいたら、この世の裏側の仕組みを全部目撃して、若くして悟りを開いてしまうのではないかと怖かった。相談する相手もあるわけなく、段々取り返しがつかない場所へ自分が追いやられていくようで怖かった。
疲れるとあまり糸を見ないように、出来るだけ下を向いているようにした。それが逆に、ホテル側から『いつも下ばかり見ていてお客様と目を合わせられない内向的な性格』と誤解され、私はフロントから企画部に異動を命じられてしまった。
支配人からは企画部で落ち着いて、新しい事業展開を模索するように命令された。
さて、私に新しい事業展開を模索しろと言われても……、思いつかなかった。頭上にはビジネス上の可能性を示すオレンジの糸が乱舞してはいるのだが、どの糸とどの糸が結びつけば成功するのかは到底わからなかった。さすがに丸結びをしたくらいでは、とても異業種の糸同士では耐えられないだろう。まるで磁石の両極のようにパーンと反発し、互いが違う方向へ伸びていってしまうこともある。
先行き不透明な仕事に没頭しているうちに、ある日意外なお客様がやって来た。それはあの婚活マネジメントの会社の息子さんだった。あの、私に『い、医者を呼びますか?』と叫んだ人だ。彼の顔を見て、思わず声を出してしまった。
「あ、あなたは!」